また『中道』が政治界隈で話題になっています。
政党の話はさておき、中道を自称する一人として民主主義には中道が不可欠だと考えていますので、中道を否定する人へ苦言を呈したいと思います。
(度々語ってきた履歴)
民主的な対話や議論に参加するための要件
さんざん過去記事で語ってきたので大雑把にまとめますが、中道とは思想やイデオロギーではなく「極端に偏らず最適解を模索する考え方」です。
そのため左派や右派から見ればどうしても敵になりやすい立ち位置ではあります。どちらかの味方ではなく、むしろ積極的に対立する側ですので、仕方がないことです。
ただ、論敵として中道を嫌うならばまだしも、中道を否定する人がいるのは問題です。中道的姿勢は民主主義にとって基本であり、中道を否定しては民主主義が成り立ちません。
民主主義の基本は主権者による対話・議論・熟議での意思決定です。
そして対話や議論の本質は「落としどころの模索」にあります。討論やディベートとは異なり、双方が歩み寄り、時に妥協し、最適解を探ることが対話や議論の目的です。
つまり、対話や議論とはそれぞれが持ち寄った意見を天秤に乗せて最適な支点を見つける行為、すなわち本質的に“中道的プロセス”です。
イデオロギーに固執し、他者の意見を取り入れず、自らの意見を曲げない姿勢は「教条主義」「認知的硬直」「セクト主義」「頑迷固陋」とみなされるだけでなく、それは対話や議論の拒絶に他なりません。
厳しいことを言いますが、政治界隈でよく見かける『イデオロギーを絶対視したり意見を変えない人』は、民主的な対話や議論の参加者として不適格です。
中道は言わば民主的な対話可能性の維持を前提とする態度です。
状況に応じて柔軟に判断し、歩み寄って他者と合意形成を試みることこそが中道であり、そしてそれこそが民主的な対話や議論の基本原則です。
よって中道を「信念が無い」「軸がブレている」と思う人は、イデオロギーや信念を優先し、そのために反対意見を攻撃と認識し、認知的不協和を避けるために意見を曲げない人であり、信念に固執して対話を拒んでいることになります。
固い信念を持ち折れず曲がらないことは、まるでドラマや漫画の主人公のようで、たしかにカッコいいです。
しかしそれを現実の民主的な対話や議論でやられても困ります。
パターン分析
とはいえ、中道を否定する人にもいくつかパターンがあると思いますので思索してみます。
①対話を拒否するタイプ
自分の立場や意見が絶対に正しい、相手の意見は聞く価値が無い、妥協は敗北であり合意形成よりも勝利が大事、論敵は論破して打ち倒すべき、とした価値観を持っている人は一定数います。
そのような権威主義的パーソナリティや教条主義に染まった人はそもそも民主的対話の前提である相互承認・妥協・合意形成を受け入れていません。
この場合、残念ながらどうにもならず、民主的な対話や議論は成立しません。
②日和見主義・機会主義と混同しているタイプ
主張や立場が不明確で優柔不断で責任逃れをする姿勢が中道だ、と思っている人もいます。
それは日和見主義や機会主義との混同です。中道の立場は明確で、対話や議論を通じて最適解を模索する姿勢であり、その選択に対する説明責任も引き受けることが前提です。
あるいは民主的対話や政治を単純化された二元論で認識している人もいます。賛成や反対、敵と味方で理解している人からすれば、状況に応じて判断する中道の柔軟性が理解しにくいのでしょう。
とはいえこのタイプの人は民主的対話を拒絶しているわけではなく、中道としては敵対されつつも議論が可能なので問題ありません。
③中道を敵視することでポジショントークをするタイプ
自分の政治的立ち位置に対して、中道は反対側に迎合していると批判する人もいます。
これも単純化された二元論の延長線で、左派と右派、敵と味方のように対立的な関係性で際立っていた自陣営の正当性が、中道の存在によって相対化されてしまうことを問題視しているための批判です。
要するにレッテル貼りの一環であり、対話の目的が合意形成ではなく自陣営の強化となりがちなため、対話や議論の相手としては扱いが少し難しくなります。
いずれにせよ、中道を批判したり敵視することまでは問題ありません。それはそれで必要な意見です。
しかし中道を否定するのは対話の拒絶に他ならず、民主主義において不適格な言説となります。
結言
相手の話を聞く。
自分の意見を修正する。
落としどころを探す。
合意形成を目指す。
民主的な対話や議論は本質的に中道的プロセスであり、中道的態度が不可欠です。
よって、中道を嫌うのならばまだしも中道を全面的に否定する人は、民主的対話の前提を理解していないか、そもそも拒否していると言えます。
もちろん民主主義を重視しなくてもそれはそれで人それぞれの価値観ではありますが、私は民主的な意思決定を是とする民主主義の徒ですので、民主的な対話や議論のプロセスには価値があると信じるばかりです。
余談
「中道」を冠した政党がこれから中道的態度を取るかどうか、個人的に興味があります。