忘れん坊の外部記憶域

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政治界隈における感情的な怨嗟や悪口に関する考察

 

 私は「日本はせっかくの民主主義国家なのだから、もっと市民の政治参画が活発になるといいな」と思っているのですが、残念ながら政治は人々から「つまらない」「怖い」と拒絶される傾向があります。

 政治界隈は非常にギスギスした雰囲気を纏っており、ストレートに言ってしまえば「当たり前のように感情的な怨嗟や悪口が飛び交って」います。そりゃあ人によってはつまらないですし怖いでしょう。

 政治の参加者を増やすためには界隈の荒れ模様を減らして明るい雰囲気にしたほうがいいと思っていますので、原因や問題点を現象的に考えてみます。

 

 特定の集団や個人を批判したいのではなく、あくまで全体的な現象を構造的に理解するための思索です。そのため、なるべく角が立たないよう、オブラートに包んで整理していきます。

 

感情的になる必然

 政治関連の言説は、特にネットの投稿が顕著ですが、政策や政治家の分析や批判というよりも感情的な不満の表明に近いものが多々あります。

 これはそこまで難しい原因があるわけではなく、むしろ自然な現象です。

 政治は税金・仕事・教育・安全など”自分の生活”に直結したテーマであり、政治の話題は自分の人生の話題でもある以上、感情的になりやすいのは当然です。

 また政治は価値観・社会・所属集団などアイデンティティとも結びつきやすいものですので、自らの人格を賭けた感情的な論争になるのもやむを得ません。

 他にもSNSは過激で感情的な意見が拡散されやすい感情増幅器として機能するため、より大きな感情論が幅を利かせるようになります。

 そもそも政治のテーマには絶対的な正解がなく、対立した利害関係をどう解消するかは無数の落としどころがあるため、論理よりも感情で衝突しがちです。

 さらに言えば、政治は複雑で巨大なため、自分一人では変えられない領域です。それは無力感を生み、無力感はしばしば怒り・不満・失望といった感情に変わります。また人間の脳は単純化を好むため、「誰が悪い」「これが問題だ」といったように、複雑で巨大な構造を感情的な二元論に落とし込みがちです。

 

 要するに政治関連の言説が感情的で怨嗟に満ちた不満ばかりになるのはある意味で必然であり、何かしら手を加えなければこのまま変わらないでしょう。

 

感情的な言説のメリット

 感情的な言説の是非は判断が分かれるところです。

 実のところ、社会に取っても個人にとってもメリット・デメリットがあります。

 

 まずはメリットを考えてみましょう。

 社会の機能的な面で見れば、感情的な怨嗟や悪口は「暴力や反社会的行動に替わる穏便な発散手段」、すなわち社会の安全弁として機能すると捉えることもできるでしょう。これは匿名性の高いネットだからこその利点と言えます。

 

 ネットで政治の悪口を言う行為は個人にとっても意味があります。

 いくつか挙げれば、「怒りや不満の言語化による心理的な負担の軽減」、「社会問題へ関心を持っている自己像を周囲に示して自己呈示・ブランディングを図る機能」、「同じ不満を共有する人とのつながりによる孤立感の緩和」などがメリットです。

 

感情的な言説のデメリット

 とはいえ、個人的にはデメリットも相応に大きいと考えます。

 

 社会的な観点で言えば、政治界隈が殺伐とした言論空間であることで、冒頭にも述べた通り人々から忌避されて新規参入を阻んでしまう可能性があります。

 また、公共圏の論理で言えば公共での議論は「合理的で、事実に基づき、相互理解を目指すもの」でなければならず、感情的な怨嗟や悪口が増えると熟議の質が低下するため問題です。

 

 個人にとっても悪影響があります。

 同じ感情を繰り返すとその回路が強化されるため、ネガティブ感情を吐き出し続けているとネガティブ感情は次第に強化されてしまいます。

 複雑な政治問題を「誰かが、何かが悪い」と単純な構図に置き換えることが習慣になると、思考の単純化が進んで物事の深い理解が進みにくくなるでしょう。

 ネットでの政治発言は「参加した気になれる」のですが、実際は行動が伴っておらず、発言ばかりに気を取られていると調べたり学んだり投票したりとした現実の行動が減る危険があります。

 後は、反応が得られることから単純にネット依存が進みかねませんし、人間関係の偏りが生じてエコーチェンバーに囚われることもあります。

 

感情的な怨嗟や悪口を無くす銀の弾丸はない

 個人的な見解として、感情的な怨嗟や悪口のデメリットはメリットを遥かに上回っていると考えます。個人の気晴らしや社会のガス抜きのために政治参加者が減るのは民主主義的に望ましくありません。

 よって、実現性はひとまずさておき、社会的・個人的な対策案を考えてみましょう。

 

 ちなみに、適切な政治議論の実施が目的ならば「クローズドな議論の場を構築すること」一択です。ネットのオープンコミュニティでは不可能ですので、モデレーターの居る形式に基づいた場をクローズドに構築する他ありません。

 また、個人のメンタルを防衛することを目的とするならばこれもシンプルで「距離を取ること」が一番簡単です。政治界隈の情報を遮断してしまえば心は守られます。

 ただ、今回の思索の目的は「感情的な怨嗟や悪口の低減による政治参加者の増加」ですので、別路線の解法を検討します。

 

 とはいえ、個々人の意識改革では限度がありますし、過剰な発信の抑圧は表現の自由と衝突してしまいます。この問題に"銀の弾丸"はなく、時間を掛けて徐々に合意を取りつつ改善していく他ないでしょう。

 プラットフォーム側でも「攻撃的コメントの不可視化」「スレッドロック」「ワンクッションと警告」「規範の明確化」「収益構造の変更」など色々試していますので、そういった制度的な変更と同時に建設的な批判が称揚される言論文化を醸成していくことが現実的に可能な路線かと思います。

 

結言

 人権を無視せず感情的な怨嗟や悪口を排除する抜本的な方法は、残念ながら存在しません。全ての人の心理を支配することはできませんので、仕組みと文化で徐々に改善していく他ないでしょう。

 何はともあれ、綺麗事ではありますが、感情的な怨嗟や悪口はあまり宜しくありませんので控えたほうが良いかと思います。