不思議なことに、毎年1回は誕生日が来る気がします。
0回でもなく、2回でもなく、1回です。
どういう規則性があるのでしょう。
……と、意味の分からない話はこのくらいにしておきましょう。
3月16日は私の誕生日です。
わー、パチパチ。
同じ誕生日の友人は誕生日に必ず有給休暇を取ることに決めているそうですが、私は普通に働きます。
さて、誕生日はなにか思い出話をする日に決めています。
今回は誕生日そのものの話をしましょう。
好物の料理
子どもの頃、誕生日の夕食は好物が出る日だった。
姉の誕生日は姉の好物、妹の誕生日は妹の好物、そして私の誕生日は私の好物だ。
父や母の誕生日もきっとそうしていたのだろうが、両親はあまり直接的に食べ物の好き嫌いに関する話をしなかったので、きっと暗黙の了解で好きなものが出ていたのだと思う。無意味に深読みすると、子どもたちへの食育目的で好き嫌いの話をしなかったのかもしれない。
私の誕生日は、赤飯と、唐揚げがメインだった。
何故かと言えば、それはもちろん私の好物だったためである。
祖父のゲンコツ教育によって今では食事の好き嫌いをしないが、子どもの頃はそこそこに好き嫌いがはっきりしていたため、親としても明確に好きな料理であった赤飯と唐揚げは選択しやすかったことだろう。
少し話は逸れるが、食事の度にゲンコツされていた私と違い、魚介を食べられなかった姉やトマトを食べられなかった妹はゲンコツされたことが無かったので、男子は殴って育てるべきだと考えていた祖父はやはり昭和の男だったのだと思う。
私としては好き嫌いのない人生を快適だと思っているので感謝しているが、現代ではグレーかもしれない。
閑話休題。
年に一度か二度は実家に顔を出すが、母は今でも赤飯や唐揚げを作ろうかと提案してくる。親が子どもの好物を覚えていていつまで経っても食べさせようとするのは世界共通の事象だろう。
「もういい大人なんだから食べたいものくらい自分で食べられるよ」とは答えるが、それでも作ってもらうことがよくある。
たしかに、赤飯や唐揚げは今でも好きだ。
今の私はほとんど好き嫌いがないが、それは“なんでも大好き”という意味ではない。嫌いが無いだけで、むしろ積極的に「好き」と言える料理は多くない。
そんな中でも数少ない"好き"な料理として選べるくらいには赤飯や唐揚げが好きだ。
ただ、「もういい大人なんだから自分で食べたいものくらい食べられるよ」は、自覚的に嘘を吐いている。
私は別に、他所で食べる赤飯や唐揚げをそこまで好きだとは思っていない。もちろん嫌いではないし、美味しいとは思っているが、数少ない"好き"な料理とはしない。
私が好きな赤飯と唐揚げは、実家で食べる、母の作った赤飯と唐揚げである。
細かいことを言うようだが、料理の好物を「カレー」や「寿司」のような解像度で話すことが苦手なのだ。味とはそこまで単純なものではなく、「○○の△△店のカレーが好き」「Aさんが作る家庭料理のカレーが好き」「旅先で食べた、あの状況の寿司が忘れられない」「スパイスの香りが立っていて、油が軽いタイプのカレーが好き」「丁寧に出汁を取っている寿司屋の味が好き」など、好きな味とは様々な条件が付随するものだろう。
私としては、「実家の味がする」「母の作った」赤飯や唐揚げが好きなのであって、それ以外は別に特別ではない。だから、今日は私の誕生日だが赤飯や唐揚げを買ってくるわけでもない。
子どもの頃から味覚が変わらないと思われるのも気恥ずかしいからいちいち言いはしないが、期待しているのは通じているのだろう。
たまに息子が帰ってきた日は、別にめでたいわけでもないのに赤飯が出てくる家である。それはとてもありがたいことなのだと思う。