忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「考え過ぎ」た時の処方箋

 

「考え過ぎて辛い」

「悩み過ぎて動けない」

 そうなった時の、乱暴な処方箋。

 

考え過ぎることはない

 歯に衣着せぬ言い回しになってしまいますが、「考え過ぎ」だと感じるのは駄目な心理状態だと断言できます。

 それは100%思考がスタックしてしまっている状態だからです。

 

 思考の幅を広げる、或いは思考を深めていく過程において、考え過ぎという状態は存在しません。それはもう強く断定します。人間個人の脳が考えられることなど限度がありますので、いくら考えたとしても考えは足りないくらいです。

 それなのに「考え過ぎ」だと感じるということは、思索の幅を広げられておらず、思考の深掘りもできておらず、狭い範囲で同じ考えを繰り返している状態だと断定できます。

 

 これは数学的な最適化問題で言うところの局所的最適解(ローカルミニマム)に陥っている状態と言ってもいいでしょう。

 ローカルミニマムとは勾配法における課題ですが、まあ簡単に言えば「思考が蛸壺にハマった状態」です。

 当人は深く考えているつもりでも、実際には同じところをグルグル回っているだけで、探索空間の幅も深掘りも不足している状態と言えます。

 

思考量の捉え方

 物理において「運動」は位置の変化を伴う現象であり、どれだけ重い物体を頑張って押したとしても物体が動かなければ運動量はゼロです。

 同様に、思考も「思考量の過多」ではなく「思考の幅や深さ」が広がらなければ思考量はゼロとなります。ちょっと厳しい話ではありますが、思考が行き詰ったということは、そういうことです。同じ前提、同じ視点、同じ論理、同じ形式を繰り返しているだけでは思考したことにはなりません。

 

 思考に到達点はありません。

 詰まった時点でそれは「終わり」ではなく、自らの思考探索の偏りを示すシグナルに過ぎないと感じ、思考が行き詰ったと感じた時こそもっと思考が進められるチャンスだと捉える必要があります。

 

再探索のための戦略

 勾配法におけるローカルミニマムを解消するためには「初期値を変える」ことが有効です。範囲を広げることで、より深掘りできる条件を探します。

 

 同様に、思考が行き詰った時は距離を取ることが妥当な戦略となります。

 行き詰った場所から距離を取って離れることで、前提を棚卸ししたり、視点を切り替えたり、メタ認知を認識したり、抽象度を上げ下げしたり、時間スケールを変えたり、探索空間を初期化することができるためです。

 必要なのは根気や我慢や集中力ではなく自由度を確保することだと言えます。「継続は力なり」ではありますが、行き詰っている状態で継続することに意味はありません。

 

 「考え過ぎ」はムダで無意味であるとした論理は、ちょっと言葉が強いとは思います。人様の努力を無下にしかねない、キツイ表現です。

 ただ、「考え過ぎ」や「悩み過ぎ」による主観的な負荷が大きいと感じるのであれば、それはまさに思考の初期化を図るタイミングだと伝えたいと思っています。

 主観的負荷が高い状態で同じ思考回路を回し続けるのは勾配がゼロの場所で延々と勾配法を回すようなものであり、ローカルミニマムを抜け出す役には立ちません。厳しいですが、努力の方向性が間違っています。

 それよりも負荷に応じて思考を広げ直す方が結果的に気楽で合理的です。人間の認知資源は有限であり、それに配慮することはむしろ血の通った現実的で優しい戦略だと考えます。

 

結言

 本質的に「考え過ぎ」は存在せず、行き詰まりはローカルミニマムです。

 それは思考の自由度が失われた状態であり、勿体ない努力の浪費と言えます。

 自由度を取り戻すための最も簡単で効果的な方法は、距離を取ることです。