忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

昨今議論されている社会問題の本質は全て同じ

 

 カルト的構造を持った社会問題に関する論争と、それらに通底する根本的な問題について。

 

公開論争は分断に至る

 論壇やSNSでは様々な論争が日々行われています。

 それらは論理の整合性や感情の大小など様々な切り口で語られており、参加者の傾向は紋切り型に当てはめることはできません。

 しかしミクロな個人ではなくマクロな全体としては明確な傾向を持つと考えます。公開された場における論争は論客や観衆を味方に付けて"社会的な数の暴力"で押し切ることが勝利の形式となるため、結果的にほぼ全ての論争は二大派閥に収斂し、巨大な分断を生じることになるでしょう

 

 さらに、二分法で分断された派閥は、論争が長期化して公開空間での競争が激化すると、ほぼ必然的にカルト的構造を帯びます。

 これはある意味で"必然的"です。

 二分法で分けられた派閥において、自らの"味方”で"善”なる派閥に相対する外集団は必然的に”敵"であり"悪"となりますし、外部の情報は"敵"の言葉ですから排除されます。

 内部分裂しては相手派閥に数で勝てなくなることから内部の価値観が絶対視されて異論が許されなくなり、結束を強めるために同調圧力・被害者意識・恐怖・裏切りへの制裁などが必然的に活用されます。

 強い同調圧力と閉鎖性、ドグマへの依存、メンバーへの思考介入、心理的搾取など、二分された派閥はそれぞれどちらもカルト的な構造を有するため、注意しなければなりません。

 

 これはカルトではなく"カルトとの類似性がある”といった話です。

 とはいえカルトでなければ問題ないわけでもなく、カルト的構造はそれ自体が注意すべき傾向と言えます。

 

カルト的構造を持つ論争の例

 次に、昨今の論壇やSNSでよく見かけるトピックの持つカルト的な傾向についてまとめていきます。

 誤解を招かないよう事前に述べておきますが、これらに関わる人がカルトだと言うわけではなく、特定の個人や団体や思想を攻撃する意図ではありません。論壇やSNSで観察される“カルト的傾向”を持ちやすい思想傾向の類型化を目的としています。

 

 つまるところ、次のようなカルト的構造を持っているものをリストでまとめてみます。

  • 対立派閥や反対する意見を"敵"や”悪”とみなす
  • 自派閥側を"正義"や"善"とみなす
  • 強い同調圧力を保有する
  • 被害者意識の武器化
  • 一部の傾向の全体化
  • 事実(Fact)よりも自論やドグマに固執する
  • 情報源に偏りがある
  • 恐怖と不安を率先して煽る
  • 内部に階層構造が生じる

 

  1. ジェンダー二分法の戦闘化(ミソジニー/ミサンドリー/過激派フェミニズム/過激派マスキュリズム)
  2. 政治的イデオロギーの純粋主義(極左/極右/陰謀論の過激派/反陰謀論の過激派/エコ過激派/反文明主義)
  3. 反科学・疑似科学コミュニティ(反ワクチン、反5G、反遺伝子技術、スピリチュアルなどの過激化とそれに反する側の過激化)
  4. ナショナリズム/反ナショナリズムの過激化(極端な愛国/極端な反国家)
  5. アイデンティティ政治の過激化(LBGTQ+、民族、宗教、障害などのアイデンティティの過激化とそれに反する側の過激化)
  6. 経済思想の宗派化(MMT原理主義/反MMT原理主義/反資本主義過激派/自由市場原理主義)
  7. 自己啓発のカルト化(成功者崇拝/自己責任原理主義)

 

 他にも色々とあるかと思われますが、ひとまずリスト化は以上です。

 いずれにおいても、二分法で分断された論争は基本的に双方がカルト的構造を持つと言っていいでしょう。

 繰り返しとなりますが、これらについて論争している人や意見の内容がカルトだと言っているわけではなく、これらは構造的にカルト的な特徴を持ち得るため注意が必要である、そういった話です。

 

本質的な問題の共通点

 リストの各所に「過激化」や「極端な」などの形容詞を付けていることから分かるように、カルト的構造が問題となる本質は"思想の内容"ではなく、思想にかこつけた”過激性”や”暴力性”です

 極端な話、どんな思想であっても暴力性を帯びていなければ無害であり、問題とはなりません

 カルト的構造が問題となるのはそれが次のような暴力を伴うからです。

  • 物理的暴力(身体的攻撃)
  • 言葉の暴力(侮辱・罵倒・人格攻撃)
  • 心理的暴力(恐怖・罪悪感の操作)
  • 経済的暴力(搾取・不利益の強制)
  • 社会的暴力(排除・名誉棄損・集団攻撃)

 他者への暴力が行われ、あまつさえそれが正当化されることに問題があります。

 つまり、暴力を正当化する構造こそがカルト的傾向が持つ問題の核であり、思想の内容は二次的なものに過ぎません

 穏健な宗教は社会へ害を与えません。

 穏健な政治思想は対話が可能です。

 穏健なジェンダー論も共存が可能でしょう。

 穏健なナショナリズムは文化的な誇りに留まります。

 穏健なアイデンティティは自己肯定感を育みます。

 たとえ閉鎖的な集団であっても、暴力が伴っていなければ社会的に問題ではありません。

 

 カルト的構造には「ナイーブ・リアリズム」や「道徳的確信の暴走」、「外集団同質性バイアス」や「被害者意識の武器化」など、暴力性が生じる典型的なバイアス・メカニズムが組み込まれています。

 そのため、穏健な人であってもカルト的構造に引き摺られると暴力を正当化しかねないことから、とにかく注意が必要です。

 

結言

 「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」とした意見があったとしましょう。

 正論のように見えるかもしれませんが、相手が馬鹿であろうと馬鹿でなかろうと、他者を攻撃する行為は倫理的に正しくありません。事実であれば言葉の暴力を振るっても問題ないと考えるのは暴力の免罪符を自分で発行している状態であり、自らの意思で振るっている暴力を“相手のせい”にしています

 カルト的構造もこれと同様です。カルト的構造を持った集団は外部を"敵"や"悪"と認定して”相手のせい”にすることで暴力を正当化します。

 このような暴力を振るってしまわないよう、何かを理由に他者を攻撃していいと考えた時は一度立ち止まることを推奨したいです。