人権の考え方について。
人権の捉え方
人権とは『全ての人が生まれながらに持つ、人間らしく幸せに生きるための権利』です。
"全ての人"が持っていることが重要なポイントなのですが、残念なことに、「自分の人権」を振りかざして物事を押し通そうとする人を時々見かけます。
人権は本来、相手を黙らせるための呪文でも、自分の要求を絶対化するための武器でもなく、「互いに持っている自由・利益・尊厳・権利をどう調整するか」について合意可能な語彙を提供する仕組みです。権力や暴力ではなく言葉によって権利を調整するための概念だと言えます。
悪いネットスラングに「ポリコレカードバトル」というものがありますが、あれはある意味で言い得て妙かもしれません。
「ポリコレカードバトル」は、人権をカード化して政治的に正しい人権を主張したほうが相手に勝利できるとした、人権を相手に勝つための武器として扱う発想です。
それは人権の取り扱いとして明らかに誤っていますが、カードゲームに例えるのは面白く、人権はカードゲームのルールブックと同じようなものだと言えます。
カードゲームでも、ルールが無ければ『対戦相手を殴打して気絶させることでカードを出せなくして勝利する』ような無茶苦茶なことも通ってしまいます。そういったことを禁止してカードで勝敗をつけるように整備されているのがカードゲームのルールであり、人権も同様に、個々の権利が衝突した場合に権力や暴力ではなく言葉によって調整するためのルールです。
カードゲームと同様、人権はそもそも衝突するように設計されています。
表現の自由とプライバシー。
個人の自由と公共の安全。
自己決定と他者への影響の綱引き。
他にも様々な権利が衝突することを前提としており、それを調整するためのルールが人権です。だからこそ「人権を持ちだしたら勝ち」とした理解は人権の本質を誤っています。
例え話
もっと分かりやすく腑に落ちやすい例え話があったほうが良さそうです。
カードゲームのように、いくつか例を考えてみましょう。
例えば、人権は【オーケストラの楽譜】です。
楽器はそれぞれ音量も音色も異なり、個々で好き勝手に鳴らしては破綻してしまいます。調和のためには音域やタイミングを調整する楽譜が必要です。人権はそういった楽譜に相当します。
少なくとも「自分の楽器が一番偉い!」と好き勝手に主張するための道具ではありません。
例えば、人権は【道路交通法】です。
歩行者も自転車も車も、それぞれ権利を持っていますが好き勝手に進んでいては事故が起こります。どうやって道路で共存するかの取り決めが必要であり、人権はそういった交通ルールに相当します。
少なくとも「信号を無視して好き勝手に進む」ための免罪符ではありません。
例えば、人権は【順番待ちのルール】です。
カフェやレストランが混んでいる時、誰が偉いか、誰が強いかで順番は決まらず、人々は列に並び、順番を守り、席を譲り合います。人権はそういった社会的なルールに相当します。
少なくとも「私が先だ!」と主張して横入りするための魔法の言葉ではありません。
例えば、人権は【マンション共有部のマナー】です。
マンションの廊下やエレベーターは住民のものでありつつも住民のものではありません。だからこそ共通の管理基準や最低限のルールが必要です。人権はそういった公共のマナーに相当します。
少なくとも「個人の家の延長だ」として好き勝手に使うことは誤りです。
結言
要するに、人権とは調整のための共通言語・インターフェース・ルールブックであり、それ自体を武器化することは不適切です。
全ての人に人権がある以上、「私の人権」を無制限に主張する行為は「数十億存在する他者の人権」も無制限に認めなければ筋が通りませんので、人権を武器化するならばその覚悟をすべきでしょう。