忘れん坊の外部記憶域

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人格批判を避けた建設的な批判の提案

 

 昨今のアメリカ大統領に対して私は批判的なので、むしろ彼に関する言説やメディア報道に対しても批判的になってしまう、そんな気分。

 ズレた非倫理的な批判ではなく、建設的な批判が必要だと信じます。

 

人格攻撃は論外

 昨今の政治クラスタにおける言説やニュース報道では猫も杓子もトランプ大統領の精神や心理面に関する人格批判で溢れかえっています。

 昔からよくある流れですし、人格批判をしたくなる気持ちは分かりますが、これは非常に宜しくない傾向です。

 

 彼は少なくとも優れた指導者ではないでしょうし、たいへん破天荒な意思決定をする迷惑なリーダーだと私は思いますが、不支持のほうが高くなったとはいえ支持率は40%ほどあり彼を支持する無視できない規模の層がいることも事実です。そういった人々の合理性・論理・人格を無視して反対側の合理性や論理を押し付けて人格を否定する行為こそが社会の分断を促進してトランプ大統領を生んだ土壌でしょう。

 異なる価値観を持った対立的な陣営の支持者を「非合理」「愚か」「危険」とみなす感情的な分極は、そのレッテルに引っ張られて相手の行動を構造的・合理的に理解しようとする能力の低下を招きます。

 そして相手の合理性を理解する態度が希薄になると次第に相手を非人間的に取り扱うようになり、最終的には一方の社会から無視された結果、強固な団結勢力となってバックラッシュが引き起こされます。

 ポピュリズム的リーダーとしてのトランプ大統領が台頭した土壌はこのような「対立陣営の非人間化」です。

 

 さらに強く言えば、政治的リーダーや政治的出来事を人間心理や人格で説明しようとする傾向そのものが、社会の分断を深める主要因の一つです。

 政治的な分断は「個人の性格」や「一個人の影響力」程度で生じる規模のものではなく、特定の政治家の「人格」は原因ではなく結果に過ぎません。実際の分断は社会的・経済的格差や集団心理、情報環境や政治エリートの戦略などによって生じます。

 それらを無視して個人の人格批判をする行為は構造的な原因を覆い隠してしまいますし、政治を「善悪の物語」に単純化して誤認を生む結果をもたらすことでしょう。

 

 つまり「人格批判の応酬」こそが分断とポピュリズムを再生産しており、メディアや言論人がそういった非倫理的な姿勢を示すのは不適切だと考えます。

 

合理性と論理に基づく批判

 例えばアメリカとイランの戦争においても、「彼は愚かである」「彼はチキンのようにビビッて逃げるだろう」といった人格面での批判は無意味どころか問題です。

 共感できなくとも彼らには彼らの合理性やロジックがあり、それに対して批判をする必要があります。

 

 彼ら側のロジックをいくつか推定してみましょう。

 一つはイスラエルや湾岸諸国に対する「同盟国の安全保障」です。

 アメリカはイランを「地域秩序を不安定化させる主体」と位置付けており、その影響力を抑制することが同盟国の安全保障に直結すると考えています。

 一つは「核拡散防止」です。

 イランは度々核合意を破ったり査察を拒絶したりしていますので、地域への核拡散を止めるための圧力として軍事行動が正当化され得ます。

 一つは「テロ対策」です。

 イラン革命防衛隊は欧米からテロ組織として指定されており、それ以外にもレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派など周辺国の反政府武装勢力へ助力して不安定化させることで自国の安定を保とうとする「前方防衛ドクトリン」を実践してきました。周辺国からしたら大変に迷惑なため、アメリカの軍事行動はテロ支援国家への対処として合理化され得ます。

 他にもいくつかの観点や側面から彼らの論理を推定することは可能でしょう。

 

 重要なのは、これらが正しいかどうかではなく、「相手にも相手の合理性がある」とした視点を持つことです。

 このような合理性の想定に対して「異なる合理性での反論」をすれば、相互に反論が可能な話し合いが行えます

 上の推定一つ取っても、例えば「核拡散防止」であれば次のような議論が可能でしょう。

「核拡散防止のためにアメリカの軍事行動は正当化される、実際、イランはウラン濃度を高めており、すぐにでも兵器級の核物質を獲得できる状態だった」

「そもそもオバマ時代の核合意を離脱したのはトランプじゃないか、なぜその枠組みで進めなかったのか」

「イランは合意を順守しておらず違反していた、不十分な合意では核拡散を防止できない」

「それならば新たな合意を検討すべきであって、軍事行動を正当化する理由にはならないだろう」

 そうせずに人格攻撃をしてしまっては建設的な話し合いが成立しません

「あいつらは愚かだ」

「うるさい、ばーかばーか」

 これで政治を論じていると言い張ることは無理でしょう。

 こういった非論理的な人格批判をメディアや言論人が行うのは、とても宜しくありません。

 

読心術というバイアス

 そもそもメディアによる人格批判は一種のメディアバイアスと言えます。

 先日も「トランプ氏は虚栄心で意思決定をしている」としたニュースタイトルを見かけました。

 これはMind Reading(読心術)と呼ばれる典型的なメディアバイアスです。実際に彼が虚栄心に基づいて意思決定をしているかどうかは本人にしか分かりません

 ニュースとして「複雑な政治構造を単純化して読者に分かりやすい物語として提示」することは確かによくあることではありますが、物語化の構造上、人格や感情が強調され過ぎます。実際の政治における意思決定は制度や官僚機構、同盟関係や情報環境、国内政治や経済など、多層的な要因で形成されているものであり、個人の人格や感情にだけ帰属させるのは単純化の度が過ぎていると言っていいでしょう。

 

 この手のメディアバイアスは長期的にも問題を引き起こします。

 それは読者の誤学習です。

 メディアが繰り返し政治家個人の人格や感情ばかりを報道すると、政治とは個人の人格劇だと誤った認識を持つようになってしまいます。それは複雑な政治を理解する妨げとなりますし、読者の政治理解を歪める可能性すらあります。

 イエロージャーナリズムやタブロイド報道を行う低品質なメディアならばまだしも、社会の公器として振る舞うべき主要なメディアが取る振る舞いとしてはあまり適切ではないでしょう。

 

結言

 メディアバイアスが生じることは避けようがありません。メディアも商売でやっている以上、センセーショナルに人目を引く必要があります。

 そのため、メディアバイアスに引き摺られず建設的で適切な批判を行うためには、読者側がメディアリテラシーを高めていく必要があると考えます。