2021年4月24日。
このブログで初めて記事を投稿した日です。
あの日から、気付けば5年が経ちました。
『忘れん坊の外部記憶域』もいつの間にやら6年目に突入します。
おかげさまの言語化
この5年間、大病を患うことも無く、日々の中で滅入ることはあれども概ね大過無く過ごすことができました。ブログにおいても毎日の更新を絶やすこと無く、取るに足らない戯れ言・痴れ言を垂れ流すことができています。良い方向での無い無い尽くしです。
これは実に「おかげさま」です。
因縁に基づいた諸法無我の世において、成果とは常に個人を取り巻く環境に強く依存しています。私が毎日ブログを投稿できているのも、それができるだけの縁に恵まれているからでしょう。
サンデル教授の『実力も運のうち』とは少し異なりますが、「おかげさま」の精神を少し言語化してみます。
たとえば、幼い頃から私を育てて読み書きや思考力を与えてくれた両親・家族の教育があったからこそ、文章を書くという営みを楽しむことができています。
また、働き、生活し、余暇を確保できるだけの社会構造やインフラもありがたいものです。道路が整備され、電気や水道が通り、インターネットが安定して繋がる、誰かが毎日働いていることで保たれているこの社会のおかげで私はのんきに文章を垂れ流せています。
もっと壮大な話をすれば、季節が巡り、空気が澄み、無毒な環境で過ごせていること、自然の営みのおかげでもあります。生存可能となる穏やかな気候で、呼吸できる空気があり、飲食可能な水や食物がある、それらは私の努力とは無関係に与えられた条件であり、感謝の対象となります。
これらの因縁が複雑に絡み合った結果、私は今日も元気です。
悲観的な運命論者ではないので私の意思や努力がゼロだと言うわけではありませんが、むしろ私の努力が成立するための土台こそが蔭に寄り添って支えてくれている様々な「お蔭様」であり、他者と世界からの贈り物です。ありがたく頂戴し、尊重を持って取り扱うべきものだと考えます。
無知の知
こうした「おかげさま」を考える一方で、もう一つ強く感じてきたことがあります。
それは「無知の知」です。
この5年間、社会問題や政治などについて時々それっぽい話をしてきましたが、自分が博学だと思うことはありません。むしろ思考をまとめて記事をしたためる度、自らが知らないことの多さに驚くばかりです。一歩進んで既知が一つ増える度、その周囲に広がる関連領域が新たに”未知”として立ち上がってきます。
唐突に図示してみましょう。
■を知っていること、□が知らないこととすれば、■が一つ増えると□は二つ増えます。
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森羅万象を理解することは不可能である以上、知を求めて学べば学ぶほど自らの無知を理解することになるのは必然です。
よって無知を恥じる必要は一切無く、むしろ未知を楽しんだほうがいいです。特にオピニオンをブログやSNSで発信し続けることを好むならば、無知を恐れたり不安に感じるのではなく積極的に無知領域を増やしていくくらいがちょうどいいでしょう。
少なくとも私はこの5年間、毎日記事を投稿することで未知の旅路を楽しんで歩めたと思っています。
結言
いよいよ6年目。
まだまだ知らないことばかりですので、これからも未知を楽しみながら書き続けていく予定です。
稚拙な筆ではありますが、今後ともそっと読み流していただければ嬉しく思います。