忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

考えることについて考える

 

 思考のお休みモード。

 

たまには

 自分の趣味は「考えること」と言える程度には何かしら余計なことを思索するのが好きではありますが、今年も連休中の割に仕事関連で考えることがいっぱいありますので、連休中は趣味の思索を軽くお休みです。

 

 私の思考回路は根底が技術者として最適化されてしまっていますので、問題把握と原因分析と対策、すなわち改善を前提としています。ループ思考、あれやこれやと悩み留まってしまうことが無いので、良く言えばポジティブで建設的な考え方かと思いますし、それに慣れていますので自然体で思考が可能です。

 過去にも書いたような気がしますが、思考も筋肉と同じで使わなければ衰えますし使えば使うほど強化されます。そして建設的な思考力は大抵の場合で低いよりも高いほうがマシなため、鍛えておいたほうが望ましいと私は思う次第です。

 

 とはいえ、このブログで開示している類の思索は社会問題や政治経済などヘヴィなテーマが多く、率直に言えば単純な答えが無い複雑な問いばかりですので、そこそこに思考カロリーも大きいです。

 よって時々は休んだほうが健康には良さそうな気がします。これも筋トレと同じで、思考にも適度な休息と回復も必要でしょう。

 

頭カラッポのほうが夢詰め込める?

 というわけで、思考の箸休めついでに思考そのものについて少し考えます。

 大した内容ではないので頭はほとんど使っていません。

 

 唐突ですが、ドラゴンボール主題歌の歌詞にある「頭カラッポのほうが夢詰め込める」を考えましょう。

 「頭カラッポのほうが夢詰め込める」のは事実で、"思考の容量"、という表現が正しいかは分からないですが、単位時間当たりの思考量は人それぞれ異なり、新たな何かを詰め込むためには思考の空白が不可欠です。

 そして思考の空白を増やす方法はいくつかあり、「余計な思考を減らす」「思考効率を上げる」「思考力の枠組みを大きくするか」などが考えられます。

 要するに部屋と同じです。部屋が手狭では新たな家具は買えません。余計な物を捨てるか、小型の家具を買うか、大きい部屋に住まいを移すなどが必要になります。

 

 最終的に夢を大きく詰め込めるのは頭をカラッポにするよりも思考力を鍛える方向ではないかと思っています。個人的な見解ではありますが。

 方向しかり、効率しかり、規模しかり、大きな夢を成し得るためには捨てる発想よりも手に入れる発想のほうが良いのではないでしょうか。

 そんな、歌の歌詞に半畳を入れるどうでもいい思考でした。

 

結言

 ちなみに私の夢は悟性を獲得して平穏無事に生きること、囚われない生き方をすることです。

 これは困ったことに思考力を鍛えた先の哲学にしか答えがないため、まあ思考し続けることが近道だと思っています。