狂人とは自覚的か無自覚的か。
ナチュラルな薄情者
ネットではそこそこな頻度でギブアンドテイクの是々非々が議論になっていますが、私個人としてはそれを"努力して理解すべき社会心理"だと感じています。
どうにも理解できておらず、しかし理解しなければ社会的に問題だと考えるため、頑張って理解しようとしている次第です。
ギブアンドテイクの例を挙げれば、「挨拶をしたのに返してくれない」「手伝ったのにお礼の言葉をもらえない」などです。
この辺りについて、私は致命的なまでに理解できていない節があります。
私は完全に自己完結的な人間のため、求めている人がいるのは理解しているのでテイクを受けたらギブを返そうと努力しますが、私自身は他者からのお返しが無くてもまったく気になりませんし、なんなら面倒だとすら感じます。他者の行動を邪険にしたらそれこそ失礼なので受け取りますが、一方通行のギブが一番気楽です。
日常的な例としても、朝は大きな声で挨拶をして返答を聞かずにそのまま立ち去りますし、困っている人は積極的に助けますがお礼の言葉やメールですら時間がもったいないと感じるレベルで興味を持っていません。
私にとってはギブをすることが目的であり、ギブをした時点で自己満足が生じていますので、他者からのリアクションは蛇足です。
無い袖は振れず、誰もがフィフティフィフティなギブアンドテイクを成立できるとは思いませんので、余力のある人が他者や集団に対して一方的にギブをすればいいだけでしょう。
悪い言い方をすれば他者に一切期待をしていないわけで、ぱっと見はお人好しに見えるナチュラルな薄情者だと自認しています。
もちろん世間一般においてギブアンドテイクは相互承認のプロトコルであり、コミュニケーションは「往復」で判断されるものです。挨拶の有無は敬意の有無に繋がりますし、お礼の有無は評価の有無に直結します。
それを重々理解して社会的配慮をしなければ私は人間社会に適合できないでしょう。
よって、これらを私は"努力して理解すべき社会心理"だと感じています。
露悪的なチャレンジ
年長者「君は喋るのが早い。きっと頭の回転が早いから喋るのも早いんだろう」
私「そうでしょうか、私は自分のことを頭の回転が早いとは思っていないんですけどね。私の場合はどちらかと言えば取捨選択が早いんですよ、切り分けの思い切りが良いだけですね。例えば将棋のプロ棋士とかは数十億の手を網羅的に検討をしたうえで最善の道を模索していくわけで、そういう人は物凄く頭の回転が早いと思うんですけども、私はもうかなり早い段階で思考経路を数パターンに絞ってしまうんです。思考の省エネ運転ですね。そうして絞った思考経路を突き進むため思考が早いように見えるのですが、実際は疎密が酷いので思考レベルが高いとは言えません。取捨選択が過ぎるせいで話が飛ぶのも問題なんですよね。思考が終わったところも全部切り捨てちゃうので説明不足になったり話に脈絡が無くなったり。将棋で言えば桂馬、チェスで言えばナイトのような思考をしています。チェスと言えば先日ポーランド人とチェスをやったんですよ、車での移動中に暇だったんでスマホのアプリで。もう10年振りくらいにやったんでオープニングの動きをすっかり忘れていました」
私「……と、お試しでしたが、普段のテンポで話すとこんな感じです」
年長者「まあ、喋るのは早いよね」
分かっていて”やる”のは露悪的でした。
他人から見てゆっくりだとは毛頭思っていないのですが、当人の自認としては早く喋っていないつもりなので、なかなか矯正は難しそうです。
結言
社会的にパーフェクトな特性を持った人間はそうそういません。誰しも何らかの人間的欠陥を持っています。それが普通です。だから、多少は自覚的に、しかしあまり深く気にする必要はないでしょう。
なんてことを勝手に思い込めることこそが人間特有の狂気なのかもしれません。