上の人の面子を潰さない程度に顔を立てつつ自らの主張を強引に押し通そうとする時が、一番社会人をやっている気分になります。
ビジネスと民主主義政治の違い
日頃より、私はブログで
「政治とは話し合いである」
「話し合いとは互いの妥協を必要とする」
「意見を押し通そうとするのは論外、むしろ、相手の考えを汲み取り配慮して自らの考えを曲げるのが話し合いである」
「自らの考えを変えようと思わない人は、話し合いや政治をしていないのと同義」
などと主張していますが、仕事では別です。
社内政治の領域はさておき、通常のビジネスプロセスは政治でも民主主義でもありませんので、民主主義と同じ手法や理論は通りません。
ふと、「ビジネスは民主的ではない」と言うと、なんとなく人聞きが悪いフレーズのように思う人がいるかもしれないと気になりました。民主主義は別に"善"ではなく一つの思想・政治制度に過ぎないので、ビジネスが非民主的であっても問題はないのですが。
この辺りは民主主義を"是"とする教育を受けてきた影響でしょう。"是"と"善"が混同しがちなのはシンプルに認知バイアスです。非民主的であることは"悪"でもなんでもありません。
閑話休題。
政治の目的は「多様な利害関係者が共存するために合意形成すること」ですが、ビジネスの目的は「価値創出」であり、そのためにも明確な責任に基づいた意思決定のスピードが優先となります。法や契約の側面を除けば話し合いや合意形成が不要な時もあるほどです。
もちろんある程度の合意と納得は摩擦を避けるために必要ではありますが、例えば社長や株主の言っていることに社員が合意していなかったとしても、それが利益になると判断されていればトップダウンで物事が進められます。
このような集団において、意思決定者に必要な情報や論点はむしろボトムアップで明確に提示されなければなりません。『合意形成プロセスに参画しているか』と『それに必要な情報を提供するか』は別の話であり、それぞれの領分ですべき主張はすることこそが「成果へのコミット」です。
つまり、組織の一般構成員が喧々諤々と意見を投げつけ合っている中で、それらを聞きつつも上層部が意思決定へ責任を持つのが健全なトップダウン型の組織です。目的を考えれば、意見を言うことこそがビジネス集団における"善"ですらあります。
逆に一般構成員の声を抑えつけたり、誰も声を上げずにただ黙って上の指示に従っている組織は真っ当なトップダウン型の組織ではありません。一方通行な情報伝達はトップダウンを誤解しており、不健全の極みです。
不適切なトップダウン:トップダウンと見切り発車は違う - 忘れん坊の外部記憶域
ビジネス手法で民主主義政治をやると社会が壊れる
なんとなく、優れたビジネスパーソンは優れた政治家にはなれないような気がしました。まあ、双方に才を持つ人もいるにはいるでしょうが。
ビジネスと政治。
どちらも意を通すことが主軸ではあり、その点では似通っています。
ただ、意の通し方が真逆です。
ビジネスは「最適解が存在する」「反対者を排除可能」「スピードが価値」であるのに対して、政治は「最適解が存在しない」「反対者は排除できない、すべきではない」「スピードよりも正当性に重きが置かれる」ため、まったく別の手法や技能が必要になります。
つまり、ビジネスの手法を政治に流用すると、次のような問題が起きる可能性がありそうです。
- ある価値観に基づいた最適解を志向するため、多様性が損なわれて、異なる価値観を持つ人々を肯定できなくなる。
- 多様な利害関係者の共存ではなく、特定勢力への肩入れと反対者の排除に走り、社会の分断と弱体化を招く。
- "皆で合意した”ことが民主主義の正当性の源泉であることを理解できず、非民主的・独裁的な意思決定を行う。
ビジネス風の政治は素早く、一定の納得感も生みます。
しかしそれは少なくとも民主的な政治ではなく、民主主義の堅持を願うならば肯定すべきでない論理です。
結言
昨今ではビジネスマン上がりの政治家が世界を振り回しているので隠れがちですが、ビジネスの考え方を政治に流用する発想自体は昨今の様々な政治集団や個人にも見られていると考えます。
「正しい最適解があり、それを選べない、選ばない、理解できない人間は愚かである」
「そういった人間を斟酌する必要はない、彼らの意見など聞く必要はない、むしろ誤った意見を世間へ流さないよう口を塞ぐべきだし社会から隔離してしまうべきだ」
「そういった人々の承認や合意などいらない、何故ならば我々の意見が正しい最適解なのだから」
こういった循環論法に陥って「話し合い」を忘れている集団・個人は意外なほど多いものです。
それはビジネスでは許されますが、民主主義政治の場では不適切となります。