忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

AIは反論の「加減」が分からない

 

 なんか、こう、いい感じに宜しく頼みたいのですが。

 

機械には心が分からない

私「AIよ、ブログ記事を書いたぞ、さあ校正・査読してくれ、論理に隙あらば反論もしてくれたまえ」

 言い回しは脚色していますが、と言うかプロンプトはもっとカッチリしていますが、難しめのトピックに関する記事では校正や査読をAIに依頼しています。

 AIは隙あらばこちらをヨイショしようとしてきますが、反論するよう最初から指示に組み込んでおけばちゃんと迎合せずに反対意見を組み立ててくれます。やたらと強力な反論をされて自論を取り下げることもあるくらいです。

 

 ただ、加減を推論する能力はまだ乏しいのか、「論理に隙あらば」と求めているのに明らかに無理筋でも手あたり次第反論してくるのがちょっと困りもの。

「ここではこのように一般化していますが、それに対する論証が不足しています」

「この用語は社会学的には一般的かもしれませんがそれに対する証明と用途の妥当性がここでは提示されていません」

など、重箱の隅までロジックをカチカチに積み上げさせようとしてくるので堅苦しい論文を書いている気分になります。

 そもそもありとあらゆる文章や論理は、妥当性の検証までは有限ですが、前提を疑い始めると「無限後退」「仮定」「循環論法」のいずれかに陥って命題を証明できなくなります。いわゆるアグリッパのトリレンマやミュンヒハウゼンのトリレンマというやつです。

 つまりその気になればどんな主張だろうと無限に反論できます。AIはその否定自体に論理的な意味は無いことも気にしないので、無限に反論してきます。

 

「手当たり次第に反論しなくていい、私の主張に明確な瑕疵があるときや、主張に対して強力な反論がある時だけ反論を提供してくれ」と求めても、「そんな曖昧な指示は分からん、何が強力かは内容や受け手次第だろう」と、その時ばかりは筋の通った反論をしてくるのでちょっと面白いです。

 

結言

 ちなみにこの記事くらいなら校正・査読は掛けません。見ての通り、論理は投げ捨てている緩いだけの記事ですので。

 

 

余談

 試しに「この記事を使って」やってみて、実際のレベル感を見てみましょうか。

 

表記ゆれ 「校正・査読」の中点が2箇所とも半角(・)になっています。過去記事では全角の「・」を使っているので統一した方がいいです。

 細かいけどちゃんと確認してくれている安心感。直しました。

文字数 雑記としても、他の記事と比較して文字数が大きく下回っています。後半(アグリッパのトリレンマ以降)をもう少し掘るだけで増量可能です。

 真面目な感じ。余談で文字数が増える予定だったので少なめでした。

反論1(強):トリレンマの適用範囲が広すぎる
アグリッパ/ミュンヒハウゼンのトリレンマは「究極的正当化は不可能」という基礎づけの無限後退についての話であり、「この一般化には論証が不足している」のような個別・一階の論証要求とは水準が違います。この二つを同一視すると、「どんな反論も理論上は無限に続けられるから、個々の反論に論理的意味はない」という結論になり、これは前段で称賛している「強力な反論で自論を撤回した」という経験の価値まで無効化してしまいます。トリレンマは一部の反論(根拠の根拠を無限に問う類)には効きますが、「この用語の妥当性を示せ」のような具体的な一階の要求まで無効化する道具ではないはずです。

 別に一階の要求で適用すべきだと主張しているわけではなく、個々の反論自体を否定しているわけでもなく、ストローマン論法でこちらの主張を勝手に定義して反論してくるパターンです。

反論2(中〜強):「加減の推論が苦手」という原因帰属が妥当か
「強い反論だけくれ」という指示自体に、何をもって「強い」とするかの基準がありません。この曖昧さを埋める基準なしに判定を求められれば、人間の査読者でも同じようにブレます。つまりこれはAI固有の能力不足というより、指示側の基準未設定の問題である可能性が高く、「AIはまだ加減の推論能力が乏しい」という診断はAI側に原因を寄せすぎているかもしれません。

 よくあるパターン。このツッコミを見たかった。

反論3(中):AIの「曖昧な指示だ」という返しは反論ではなく回避では
これを「筋の通った反論で面白い」としていますが、これは個別の反論の妥当性に踏み込まず、一般化のルール設定そのものを拒否しているだけとも読めます。人間の同僚が同じことを言えば「はぐらかされた」と感じるはずで、これを反論の質として評価するのは、AIに対する評価基準が人間に対するそれより甘くなっている可能性があります。

 確かに言っていることは正しいですが、「私のAIに対する評価基準が人間に対するそれより甘くなっているかどうか」はまったく重要ではないどころか論理にも結論にも一切影響しない枝葉であり、ズレた無意味な反論をしてくるパターンです。