最近、トイレの男女比や行列を巡る話がネットで不定期に燃えているのを見かけます。
同じような構図の対立が起きているため、並び立っている論点の整理をしてみました。
論点のクラスタ
整理すると、概ね以下のような立場が入り乱れています。
- 面積配分がゼロサムである以上、女子トイレを増やせば男子トイレが削られるのは構造的必然だとする経済的な視点
- 男女共用の個室化や小便器の廃止など、ゼロサム構造や男性への社会的抑圧を解消しようとする設計論的な見解
- 「トイレの待ち時間」を平等にするなら「トイレの面積」も平等にすべきではないかという、平等の基準そのものを問う立場
- 身体的な違いを理由にした差別的処遇の当否を巡る倫理・規範論
- 単純な皮肉や揶揄
他にも側面はあると思われますが、何はともあれトイレ論争はレイヤーの異なる論点が一緒くたになって混在してしまっています。経済・設計・性差・平等・倫理・感情などは本来別々に検討して然るべき論点です。それらを一つの地平にまとめて扱えてしまうテーマであるためにネットで頻繁に燃え上がるのでしょう。
参加者はお互いに噛み合っていますが、議論は噛み合っていません。
快適さの人権化という迂回路
個人的には、これらの対立軸では議論は解決しないと考えます。対立軸になる程度にはそれぞれの主張者が居る以上、多数決で押し通すのは分断を煽るだけですし、これらの軸での満場一致は薄い道だと思われるためです。
よって別の評価軸を提案してみます。
例えば、待ち時間の最小化を目標に据えるのはどうでしょう。
その実現手段としては最低個数の設定をするのが妥当でしょう。
これには二つの利点があると考えます。
第一に、平等の基準(時間・面積・個数)そのものを選ぶという、決着のつきにくい規範論争を回避できます。「利用者が許容できる待ち時間の上限を下回っているか」という定量的で単一の閾値で評価が可能であり、待ち行列理論の応用によって必要個数を機械的に算出できる方向性にできるためです。
もちろん閾値は可変的になりますが、同一指標であれば自然と「双方が得をする」ことへのインセンティブが働き、「相手の得はこちらの損」「損をしてでも相手の得を減らす」といった対立軸で発生しがちなスパイト行動を多少なりとも抑止可能でしょう。
第二に、議論の土俵を移動すること自体に価値があります。
何らかの対立構造として議論が消費され続ける限り非建設的な殲滅戦が続くばかりですが、閾値設計の問題として扱えばその閾値をどこに置くかという形で建設的な議論の俎上に乗ります。
もちろん、これは間違いなく面積の純増を要求することになる以上、経済合理性とは相性が悪い提案です。
ただ、不便や不快を避けられることは、現代においてある程度確立されつつある権利的な要求でもあります。既存の社会権の多くが「資源制約の中で漸進的に実現されるべきもの」として扱われているのと同様に、この種の快適さについても「無条件に経済性より優越する」とまではならずとも、少なくとも考慮すべき正当な要求として設計に組み込む余地はあるはずです。
結言
人権を持ち出すのは大仰かもしれませんし、この言葉を安易に振り回せばあらゆる不便が権利侵害だと主張されかねない怖さもあります。人権は無制限に強い切り札ではありません。
ただ、それでも延々と言い合うよりは「待ち時間」を共通の物差しとして設計を議論する方が、まだ建設的だろうと思います。そのためには人権を用いるのも止む無しです。
品の良い言葉遊びではありませんが、何であれ、"不便"なのは、やはり宜しくないでしょう。