忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

理性よりも感情を優先すべきだと言われた話

 ワクチンだか、エネルギー問題だか、貧困問題だか、なんの話をしているときだったかは忘れてしまいましたが確か社会問題の話をしていた時です。その際に新人の若い男の子に言われた言葉が未だに頭の中に残っています。

 「僕たちはロボットじゃなくて人間なんです、心があるんです。」

 「理性ではなく、感情を優先すべきじゃないんですか。」

 正直ショックでした。なにせ彼も私も技術屋であり、数学と物理と科学の世界に生きる理系である以上数字や合理性を重んじるものだと無批判に信じていたからです。

 理性と感情

 確かに理性と感情のどちらを優先するかという議論は古代より人類が語るテーマの一つです。ビジネスにおいてもロジカルで合理的な方法論と並んで相手の感情に訴えかけることで商談を成功させる方法など、理性と感情の両側からのアプローチがあります。設計だって工学的な合理性だけでなく、感情に訴えるデザインが必須でしょう。

 いや、しかし、その時私たちが話していたのは社会問題、つまり大きな集団の意思決定についてです。感情に訴える商法や共感をコントロールするリーダーシップといったミクロの話ではなく、貧困や環境問題を企業や国家はどう解決すべきかといったマクロの話です。

 マクロの物事を感情で決めるべき、という意見が若者から出るのはまさにポスト・トゥルースの時代になったのだと感じました。

 

 ポスト・トゥルースにおいては誤った等価関係、つまり両論併記の是非が課題とされていますので、後で両論併記に関する見解の続きを書きます。

 ここまで書いてやっと思い出しました。彼とはマイクロプラスチック問題について話していたのでした。プラスチックのスプーンやストローの有料化が話題になったときです。確か私が「プラスチックのストローやカトラリーはプラスチックごみ全体の0.5%だから、マイクロプラスチック問題を解決するにはもっと大きい漁網や発泡スチロールブイに対策を取ったほうが良いと思うなー。行動変容を要求する意識改革的な意味はあるかもしれないけど、やっぱり費用対効果が大きいところを優先じゃない?」と言ったときに反論されたのでした。数字の問題ではなく、人々の感情のほうが重要だと。

 私だってロボットではありませんし、感情のある人間です。哲学的ゾンビな存在でも無いはずです。海の生き物が死ぬのは悲しいので、だからこそ目に見える範囲での変更で「やってる感」を出すよりもより効率的な方法を模索すべきなんじゃないだろうかと愚考しているのですが、「やってる感」のほうが大切だと言われるとコメントに困るところが・・・

 というか、むしろ感情は動物的で、理性こそが人間的なものだと考えていたのですが、もしかしたら違うのでしょうか。確かに感情は大切ですし感情が無ければ人は動きません。

 しかしだからと言って感情の赴くままにやればいいかと言われるとそれも違うはずです。感情で進むべきベクトルを定め、理性によって方法を探る。これこそが人間の人間たる所以であると信じつつも自信が無くなるこの頃です。確かに世の中を見渡せば、合理性よりも共感性を用いた言説のほうが優位な感じはします。

 理性と感情については今後の勉強テーマとすることにします。

 

 いや、でも、大勢の将来に関わる物事は合理的で効率的な方法を取ったほうが良いと思うんですよねぇ。この「思う」というのは「理性」ではなく「感情」じゃないかと問われると間違いではないのがなんとも。