忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

言論・メディア

他者の好みを直球で否定する人の心理を理解したい

直球で否定する人を否定したいわけではないことを上手く言葉で表現するのは難しい。 個人的に、理解が難しい心理の上位ランカー 世の中には他者が好むものをストレートに否定する人がいます。 もちろん人それぞれ嫌いなものはあります、それは当たり前のこと…

人に嫌われなくてもいいんじゃないかな

八方美人を推奨するわけではないけども。 実はアドラーはちゃんと読んでない おそらく10年くらい前にベストセラーとなった本の影響か、今でもよくネット上で見かける「嫌われる勇気」について。 この本は読んでいないので具体的な内容はよく分かっていません…

他者を説得したいのであれば、信念ではなく理念に基づくこと

信念と理念はどちらも「あるべき姿を希求する考え」を示す似た言葉ですが、少しニュアンスが違います。 信念とは「正しいと信じる自分の考え」であり、理念とは「こうあるべきだという根本の考え」です。 言い換えれば、信念とは自らの心に基づいた感情的な…

陰謀論との個人的な接し方

よく行くお店の店長さんがそこそこに陰謀論を好む質だったのですが、コロナ禍でのワクチンをきっかけに年々深みにハマりつつあるのか近頃はかなりメジャーなところに触れつつあります。 先日も、東日本大震災や能登半島地震はアメリカの人工地震で日本への脅…

人に敬意を払うこと

世の中には明文・不文律問わず、様々なルールや決まり事があります。 ルールや決まり事は時に個々人の行動を制約する好ましくない存在となりますが、その不都合を堪えて守ることが共同体に安定をもたらし、そこに所属する人々の幸福に資することへ繋がります…

対立相手をクズだとするムーブは勿体ない

我は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ 敵の大將たるものは 古今無雙の英雄で 之に従う兵は 共に剽悍決死の士 鬼神に恥ぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を 起しゝ者は昔より 榮えし例有らざるぞ 軍歌「抜刀隊」 唐突ではありますが、この歌詞はとても好きです。 ど…

絶対的な肯定も、絶対的な否定も、リスクに他ならない

当ブログで度々取り上げてきた、「何を言ったか」「どう言ったか」「誰が言ったか」問題。 ◆「何を言ったか」のためにも「誰が言ったか」「どう言ったか」は重要 ◆匿名の言葉をどこまで信用できるかには議論の余地がある ◆トーン・ポリシングに対する疑義と…

デマ情報を検閲することには否定的

誤った情報が声高に叫ばれて拡散されると、デマ情報の削除や発信源の凍結、すなわち検閲を求める他方の声も大きくなります。 ここで言う検閲とは狭義の公権力によるものではなく広義のCensorshipとしての検閲です。 その気持ちは分かります。 私もSNSなどで…

名は体を表すのだから、言葉は丁寧に扱う必要がある

『ウォーターハンマー』という現象があります。 なにやらゲームや漫画の必殺技みたいな名前ですが、ただの物理現象です。流体の圧力が何かしらの原因によって変化した際に、生じた圧力差によって流体の流れが変わって勢いよく管の壁などにぶつかる現象をウォ…

議論を口喧嘩に劣化させる着火源

なぜ人は犬派と猫派で争うのだろう。やはり人類は愚かなり・・・ なんてよく分からないフレーズから、今回は議論のお作法について考えてみましょう。 上げ下げ 犬派猫派の論争が時に荒れる理由はとても単純で、相手の愛着対象を下げるからです。そうせずに自ら…

ネットは「誰に言ったか」を選べないコミュニケーションツール

このブログでは言論の正当性や妥当性について「誰が言ったか」「何を言ったか」「どう言ったか」を基準に述べてきました。 ◆「何を言ったか」のためにも「誰が言ったか」「どう言ったか」は重要 ◆匿名の言葉をどこまで信用できるかには議論の余地がある ◆ト…

ネットはカルトや陰謀論が花開きやすい

近現代ではカルトや陰謀論が社会的な問題として取り扱われることが多くなっています。これは世界中にネットワークが張り巡らされたことによってより顕著な声になったと言えるかもしれません。さらに言えば害悪論の一種として「ネットがカルトや陰謀論を生み…

色眼鏡はほどほどに:誰が言ったかどうかへの過信

本当に時々ですが、誰かの意見表明に対して「中立を装っている風で気に入らない、自らの立ち位置を明確にすべきだ」とする見解を見かけることがあります。 気持ちは分かりますがその色眼鏡は黄色信号だと考えますので、そう考える理由を整理していきます。 …

「どっちもどっち論」は不適切ではあるが、頭ごなしに否定することも望ましくない

それは黄信号だと思う話。 基本的には不適切 どっちもどっち論は概ね「五十歩百歩」や「どんぐりの背比べ」に類する言葉で、対立軸が生じた議論や闘争において双方に問題があるとする見解を指して呼称されます。 どっちもどっち論は基本的には不適切です。た…

トーン・ポリシングに対する疑義と考察

トーン・ポリシング(Tone policing)とは意見の内容ではなく意見を述べる際の口調や論調に対して否定的な態度を取ることで意見の妥当性を損ねる行為であり、大まかに言えば論点のすり替えです。 最近の事例であれば、ジャニーズ事務所の記者会見で代表取締役…

旗幟鮮明で尖った意見は人々の立ち位置を明るみに出す役割がある

やるべきではないことは、あえてやりたくなるのが天邪鬼。 気になったコメント 当ブログは侘び寂びを大切にしている、わけではなく、ただネットの片隅にひっそりと佇んでいるだけの場末の駄ブログです。 イメージとしてはメキシコやテキサスにあるタンブルウ…

匿名の言葉をどこまで信用できるかには議論の余地がある

私個人としては「誰が言ったか」「どう言ったか」よりも「何を言ったか」を優先する考えを持っています。 ただ、それは必ずしも「誰が言ったか」「どう言ったか」に価値が無いことを意味するわけでもなく、また万人に適用可能な発想ではないとも思っているた…

不確かな情報の価値

年に数度しか帰省しない親不孝者のボンクラ息子ではありますが、さすがに盆と正月くらいは実家に顔を出して両親に生存報告をします。 姉と妹が実家の近くに住んでいますので私は別にそこまで顔を出さなくてもいいかな、などと少し思っていたり。まあ、ただの…

違う意見を聞くのは楽しいことなんだ

油断をするとヘビィなテーマを語り始める当ブログ。 堅苦しい話が連続しないよう、なるべく軽い話を織り交ぜていきたいものです。 つまり、今回は軽い話をします。 とはいえ軽重は人が判断することでもある以上、必ずしも軽い話になるとは限りません。 物語…

【善悪】と【好き嫌い】は意識的な切り離しが必要

家庭や学校の教育では善を為し悪を厭うことを学び、物語によって善を肯定し悪を否定することを刷り込まれることから、大抵の人は善を好み悪を嫌うように育つかと思います。もちろん例外はあるものの、善を好み悪を嫌うことは社会的に正しい定型として存在す…

頭が良い人ほど間違いを認められない

人は時に異なる意見を持つ相手を誤った愚か者だと考えてしまうことがありますが、異なる意見だからといって誤っているとは必ずしも言えません。人それぞれに異なる思想や信念を持ち、何を重視しているかは違うことから、同じ情報を受け取ったとしても同じ結…

単純化のバイアスを解消するための簡易的な方法

ビジネス系の情報を見て回っていると、週に何度も「頭の良い人とそうではない人の違い」みたいな宣伝文句を見かけます。 それが記事を読ませるための惹句であることは重々承知しつつも、そもそも頭の良い人はそんな単純に世の中の人を二分しないのではなかろ…

話し合いでは意見を述べ『なければいけない』

少し苛烈ではありますが、私は会議の場などで発言しない人に忖度しません。意見を出した人だけをはっきりと優先して扱います。 これは一部の意見を排除することが目的ではなく、むしろどれだけ異端な意見や多数派と異なる意見であっても意見を述べるのであれ…

「誰が書いたか分からない記事は信用するな」の匙加減

「誰が書いたか分からない記事は信用するな」はよく言われていることです。 文責が不明確な記事よりは明確な記事、無記名よりは記名記事のほうが信頼度が高いと評価するのは自然なことでしょう。 ただ、それは匙加減にもよると思っているため、それに関する…

無責任だとする指摘の無責任性と、助言の存在価値

A「仕事辛い、会社がブラックだ」 B「辞めちゃえばいい」B’「もう少し頑張ってみたらどうだ」 C「それは無責任な発言だ」 このような流れのコミュニケーションを時々見かけます。仕事に関連して、4~5月頃のSNSでは特に。 ・何かしらを継続することへの疑義 …

意見対立時は二項対立ではなくアナログ思考で

土曜日の夜。 お腹が空いたためご飯を食べに行こうとお家を出たら、駐車場に車が無い。 盗まれたか? ああ、いや、そうではなかった。金曜日に会社の飲み会があったから、車を会社の駐車場に放置したことを忘れていた。 調子に乗って飲み過ぎたせいで土曜日…

議論(ディスカッション)と討論(ディベート)は目的もプロセスも異なる

以前にも記事にしたことがありますが、議論(ディスカッション)と討論(ディベート)は似ているようで異なる概念です。 議論と討論は異なる概念です。様々な意見を持った人々が集まり共通の結論を探し求めるのが議論で、対立した意見をぶつけ合いどちらがより良…

政治的公平を掲げるならば、安易に権力の監視を謳うべきではない

今回は言論やメディアと権力の距離感、及び「権力の監視」に関する思索です。 本来的に[権力]と[政府]はイコールではなく、ジャーナリズムが距離を置くべきは[政府]に限らず[政府を含めた全ての権力]ではありますが、今回は話を単純化するため[権力=政府]で…

誰が言っているかでフィルターするのは合理的だけども

軽いんだか重いんだか分からない話。 なんだ、○○○か インターネットを徘徊していると、特に党派性が高い堅苦しい分野に限らず、どの分野でも情報に対する嗜好での選別行動を見かけることがあります。 それは例えば「なんだ、○○○が書いた記事か」「タイトルだ…

「権力の監視」はジャーナリズムの目的か:手段と目的を混同する危険

ジャーナリズムの機能として挙げられる「権力の監視」。 まるで錦の御旗かのように声高に語られる「権力の監視」とは、一体どこで定められたもので誰が認めたものなのか、見かける度に疑問を感じてしまいます。 過去にも同様の記事を書いたことがありますが…