認知バイアスや詭弁などについては時々言及してきましたが、今回はメディアバイアスについて語ってみましょう。
偏向の善悪と対策
ジャーナリズムは中立公正・真実と正確さを重要な倫理規範としています。
しかしそれでも人が情報を取り扱っている以上、必然的に偏向(バイアス)は生じます。
偏向自体は必ずしも悪いことではありません。真に客観的な視点は神様以外には持てない以上、偏向を悪としては誰もから善が無くなってしまうでしょう。
もちろん虚偽や誤情報の拡散、ポジショントークや意図的な誤解による利益誘導など、偏向は問題を引き起こすことがあります。
よって偏向そのものを問題と捉えるのではなく、偏向があることへの無理解こそが問題です。私たちは情報を取り扱ううえで、様々な偏向が当たり前に存在していることを認識して隠れた偏向を取り除く必要があります。
そのためには方法に関する知識が不可欠です。
今回は代表的なメディアバイアスを紹介しているサイトからいくつか重要なポイントを抽出してみます。
より具体的な学びや事例を見るのであれば、英語ですがこちらのサイトを見ると勉強になるかと思います。
Spin(スピン)
スピンは日本語圏でも多少知れ渡っている代表的なメディアバイアスで、曖昧・主観的・センセーショナルな表現を用いることで読者の目を曇らせる手法です。表現に限らず、後述するSlant(偏り)やBias by Omission(省略による偏向)も”スピン報道”として含めた言葉となっています。
スピンとなる表現の代表的な事例としては、「深刻な」「重要な」「激しい」「致命的」「攻撃」「憂慮すべき」「不吉な」「厄介な」のように状況を強く修飾する表現を用いたり、「認めた」「拒否した」「明るみに出た」といった悪い行為を暗示する表現で印象操作をしたり、「嘲笑した」「激怒した」「自慢した」「ほくそ笑んだ」のように”言った”という行為の代わりへ色付けしてセンセーショナルにする表現を使います。
これらは筆者の主観的な感覚であり、事実を客観的に示しておらず、煽情的で読者の認識を欺きます。読者は情報に含まれるスピンを適切に回避して正しく情報を捉えなければなりません。
Opinion Statements Presented as Fact(事実として提示された意見)
ジャーナリストは客観的な事実を装って主観的な意見を組み込むことがあります。
主観的な意見とは、意味を検証できず解釈の余地がある表現です。「青い」「古い」「単独で」「統計的に」「国内の」といった客観的な修飾は意味を検証できますが、「疑わしい」「危険な」「極端な」「無視して」「不快な」といった主観的な修飾は解釈の余地がある主観的な意見です。
主観的な表現の代表的な例としては、「良い/悪い」「安全/危険」「過激」「おそらく」「どうやら」「思われる」「賞賛する/非難する」「みなされる」「独断的」などがあります。
天気予報では晴れた日を「いい天気」と表現しないことが客観の事例として分かりやすいでしょう。晴れた日が「いい」かどうかは人それぞれです。
Sensationalism/Emotionalism(センセーショナリズム/感情主義)
センセーショナリズムとは衝撃を与えたり強い印象を与えたりする形で情報を伝えるバイアスです。筆者が思い描く情報のストーリーへ読者を誤解させて誘導する効果を持ちます。
センセーショナルな言葉はドラマチックではありますが曖昧です。客観的に裏付けられず、正確さを犠牲にして誇張していたり、読者に強い反応を引き起こして現実を歪曲してしまいます。
代表的な表現は、「ショッキング」「顕著」「混沌とした」「痛烈な」「爆発的な」「強制的な」「絶望的な」といった強い表現です。それらが実際はどの程度かを検証できない以上、客観性を欠いていると言わざるを得ません。
Mudslinging/Ad Hominem(中傷/人格攻撃)
中傷とは不公平なことや侮辱的なことを言って人の評判を傷つけるもので、人格攻撃は人の主張や考えの内容ではなく動機や性格を攻撃するものです。中傷や人格攻撃は客観的に検証可能なものではなく、発信者の考えへ読者を誘導する効果を持つ明確な偏向だと言えます。
日本ではそこまであからさまに中傷/人格攻撃を行うニュースメディアはあまり見かけませんが、海外メディアやオピニオンサイト、そしてSNSでは頻繁に見かける手法です。
Mind Reading(読心)
読心(術)は、記者が他人の考えを知っていると思い込んだり、自分の考えが世界の実態を反映していると考えたりするときに起こるメディアバイアスです。
これは事例を見たほうが分かりやすいでしょう。
(National Review)「オバマ氏には情熱も目的意識も使命感もない」
(CNN)「トランプ大統領は愚か者と見られることを嫌っている」
実際には彼らが心の中で何を想って考えているかを知ることはできません。これらは根拠の無い偏向です。
日本のメディアではここまで直接的な読心を用いるジャーナリストは少ないですが、代わりに「関係者」に「彼はこう考えている」と言わせることで間接的に読心のバイアスを用いることがあります。
Slant(偏り)、Bias by Omission(省略による偏向)
これらは典型的かつ判別の難しい偏向報道で、ジャーナリストがストーリーの一部だけを伝えたり、特定の視点や情報に焦点を合わせたり、強調したりすることを指すメディアバイアスです。一方の立場を支持するために情報やデータを厳選し、別の視点を無視して読者が全体像を把握できないようにして読者の理解の幅を狭めます。
これは情報の取捨選択に限らず、どの記事を紙面やモニター上のどこに配置するか、どのような思想を持った識者や評論家や研究者の意見を引用するかなど、記事の配置や視点の配置でも偏向が生じます。
Word Choice(言葉の選択)
言葉の選択には政治的な意味合いが含まれます。どの言葉を選んだかで、そのジャーナリストの視点や偏向が詳らかになるものです。
例えば暴力的な事件を伴ったデモ活動を「抗議」と呼ぶか「暴動」と呼ぶか、正規の手続きを経ないで入国した人を「移民」と呼ぶか「不法移民」と呼ぶか、軍隊の役割拡大に関する法整備を「戦争法」と呼ぶか「安全保障関連法」と呼ぶか、などです。
これらは単独メディアを見ているだけではなかなか気付きにくいバイアスであり、回避するためには複数のメディアを通読する必要があります。
Photo Bias(写真の偏向)
多くのメディアは写真を用います。
視覚情報による影響は強く、人は写真から様々な認識・感情・印象・敵意や好意を形作ります。怒った顔や困惑した顔を掲載して読者が記事から受ける印象を操作したり、あえて不美人に見える写真を使って対象の評価を落としたり、歓喜する群衆の写真を使って賛同者が多いことをイメージ付けたりと、写真の活用方法は様々です。
このバイアスを熟知していれば、筆者がどのような印象を読者に持たせたいかが分かるようになります。
Negativity Bias(ネガティブバイアス)
ネガティブバイアスとは悪いニュースや否定的なニュースが強調されるバイアスです。死、暴力、混乱、闘争、困難に関するニュースは、マスコミで注目される傾向があります。こうしたタイプのニュースは人の本能に働きかけてより多くの注目を集めることができるためです。
そのため、ジャーナリストは意識的にせよ無意識的にせよ読者の注目を集めるために物事を否定的に報道する傾向を持ちます。意思決定者が即断すれば「独裁者」と批判し、会議を開いて熟慮すれば「判断が遅い」と否定する、為替が円高に振れようとも円安に振れようとも否定的に取り上げる、そういった偏向は商売である以上残念ながら仕方がありません。読者は受け取ったネガティブ情報が本当に否定的な事実であるかどうかを自身で判断する必要があります。
結言
繰り返しますが、偏向自体は問題ではありません。私たちは誰もが自分が正しいと思うことに偏っています。それは自然なことであり必ずしも問題ではありません。極論、道徳的で優しい人は「道徳的であることに偏っている」と言えますが、それはなにも問題ではないでしょう。
偏ることが問題なのではなく、偏りによって物事の全体像を認識できなくなり誤った選択をしてしまうことが問題です。
そのような問題を避けるためには偏向に関する手法を学ぶことが有効な方策だと言えます。