先日、「底辺を経験した人は強い」「エリート街道を突き進んできた人よりも底辺を経験したことがある人のほうが強い」という言説を見かけました。
底辺を経験したことが無い人間よりは底辺を知っている人間のほうが底辺への解像度が高くリスクを取って挑戦しやすいのだとする理屈は分かります。
とはいえ、その逆の理屈も成り立つような気はします。「底辺を知っている人間は底辺の味を知っているため、もう一度味わうことを恐怖してリスクを取れなくなる」なんてこともありそうですので。
ただ、なにはともあれ、この類の言説はある種の生存者バイアスではないかな、と思う次第です。
「底辺を経験した人は強い」のバイアス
「底辺を経験した人は強い」と言う命題は全体像を捉えていないと思います。その強い人は底辺を経験した上でさらに挑戦して成功した人であり、底辺を経験した結果挑戦ができなくなったりさらに挑戦して失敗した人が無視された表現だからです。
言ってしまえば、底辺を経験したから強いのではなく、強い人だから底辺からでも成功できただけのような気がします。
もちろん強い人が底辺を経験するとより強くなる可能性はありますが、弱い人が底辺を経験しても強くなるとは限りません。むしろそのまま沈み込んでしまう可能性だってあります。だから冒頭の命題「底辺を経験した人は強い」は真ではないと、そう愚考します。
これは失敗した対象を見ずに成功した対象のみを基準として判断してしまう生存者バイアスの典型例と言えそうです。
もちろん著者の方は「だから底辺を経験しろ」なんて述べているわけではありませんのでこの生存者バイアスに関して論ずる意味は無いのですが、なんとなく気になったので言及しました。
生存者バイアスが蔓延る界隈
ビジネス系メディアでよく見かける「こうすれば成功する!」といった類の言説は、その多くが生存者バイアスを含んでいます。これらメディアで大々的に掲載される人々の多くは成功者であり、成功しなかった人々はそのような表舞台に出てくることができません。よって構造的にビジネス系メディアの言説には生存者バイアスが含まれることになります。
もちろんそれは常識的で当たり前のことなのでビジネス系メディアの生存者バイアスが含まれた言説を真に受ける人はそうそう居ないとは思いますが、どうにも認知バイアスが過剰に含まれた言説が世間に垂れ流されているのを見るとつい気になってしまいます。
成功者から学びたいと考える人が多い以上、そういった成功者の情報をピックアップして販売することがビジネス系メディアの商売だから仕方がないのですが、なんともはや。
結言
品質工学(タグチメソッド)では品質を次のように定義しています。
「品質とは、品物が出荷後、社会に対して与える損失である。ただし機能そのものによる損失は除く」
この定義で言えば、不良品や故障、傷害や事故を引き起こす品物は品質が悪いと言えます。そしてこのような考え方からすると設計における失敗とはまさに社会に対して与える損失そのものですので、技術屋の端くれとしては生存者バイアスの含まれた成功例よりは失敗例からこそ学ぶべきことが多いと思っています。
余談
『失踪・雲隠れした噂のあの人は今何処に!?会社を潰した社長100人に失敗の秘訣をインタビューしました!』みたいな本があればいいのに。