忘れん坊の外部記憶域

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信念に固執することは「ハンドルの無い車」に似ている

 世間では強い意志や固い決意、言い換えれば信念を高価値のものとして取り扱うことが多々あるかと思います。学校では結果だけではなく意志や気持ちといった心の態度も評価の対象となるものですし、物語の主人公は多くの場合で強い意志と固い決意を持っているものです。

 信念に基づいた頑固で曲がらない気質であることは、不器用ではあるものの尊ぶべき資質だとする言説には事欠くことが無いでしょう。

 

 ただ、逆張りのようで申し訳ないのですが、私はあまり信念に重きを置いていません。信念に固執することは「ハンドルの無い車」に乗車するようなものだと考えるためです。

 

生存者バイアス

 信念とは固く信じて疑わない心であり、曲げることはできないものです。曲げてしまった時点で信念では無くなります。

 その心の強さ自体は極めて価値の高いものです。

 ただ、曲がらないということは危機回避行動を取れないということでもあります。目的地に向かって猛進しているつもりが道を逸れてしまっても気付くことができず、向かう先が断崖絶壁であっても止まることができません。目的地を遠くに設定すればするほど、最初の僅かなズレが致命的な差に広がっていきます。

 

 確かに猪突猛進で曲がらずに突き進んでいけば普通に歩くよりも遥かに遠くへ辿り着くことができます。成功者と呼ばれる人の多くは信念に基づいて並の人よりも遠い地平まで駆け抜けた人たちです。そういった成功者は信念に基づいた行動こそが成功へと繋がったのだと喧伝しますし、それは事実です。

 それは事実ではありますが、しかし生存者バイアスが含まれていることも忘れてはいけません。信念に基づいたからこそ遠くに行けた成功者の影には、信念に基づいても目的地には辿り着けなかった無名の人々が無数に存在しています。信念は成功の必要条件かもしれませんが、信念があれば成功するとは限りません

 その点を留意していないと「信念にだけ従って邁進すればいい」とした誤解に陥る危険があります。それは運が良ければ遠くまで辿り着けるかもしれませんが、下手をすれば明後日の方向へ冒進したり断崖絶壁から滑落することになるかもしれません。

 

 もちろん個人の人生は個人のものであり、個人が信念に基づいて自らをギャンブルのチップとすることは自由です。物語の主人公のように強い意志と固い決意を持ってガムシャラに突き進む人は間違いなくカッコいい存在です。

 ただ、組織の意思決定者が信念に基づいて意思決定を行うことは推奨できません。組織を構成する人々は意思決定者とは別人格である以上、意思決定者の個人的な信念に基づいて組織を運用することは人の財布を使ってギャンブルをすることと同義です。それは許容されることではないでしょう。

 

衝突を避けたい

 信念に重きを置いていないもう一つの理由は、信念は時に争いを生むものだからです。世界には無数の他者が存在しており、曲がらずに突き進んでいくと否応なしに他の道を歩いている他者と衝突することになります。

 他者を薙ぎ倒してでも信念に基づいて突き進む、それはそれで一つの正解でしょうし、それを良しとする人がいることも分かります。さらにはあえて争うために人へぶつかっていく人だっています。

 ただ、個人的には好みではないです。気持ちの問題として人との争いを避けたいと強く思っていますし、理性の面でもわざわざ衝突せずに避けた方がエネルギーのロスが少なく効率的で合理的なものです。

 

結言

 信念を持つことを否定するわけではなく、個人を立たせる芯として信念は有るに越したことはありません。また、苦境に陥った際に自らを奮い立たせて前進するためには信念ほど役立つものはないでしょう。

 ただ、それ一本に依存し、信念に従ってさえいればいいと固執することは危険だと考えています。

 

 つまるところ、強固な信念は【高性能なエンジン】です。上手く吹かせば遥か遠くまで連れていってくれます。

 ただし、ちゃんと目的地へ辿り着くのであれば、【操舵装置】を疎かにしてはいけないと考えます。信念に固執して曲がらないことが目的化してしまうと、それは「ハンドルの無い車」に似たものとなりかねません。

 道行く人を撥ね飛ばしながら冒進し、しかし適切に目的地へ辿り着けるかは分からない暴走車。それはなんとも傍迷惑な存在ではなかろうかと、そう考えます。