忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

私の幸せは貴方の幸せと同じではない、という考え

 少し冷たいようで、案外そうでもない考え方。

 

宗教観に関する私見

 私は比較的宗教に触れる機会が多い人生を歩んできたと思います。

 母方は祖父母の代から熱心な仏教系信者ですし、親戚にはプロテスタントの人もいます。図書館では神道系の書籍をそこそこ読み、大学時代は近所のエホバの証人の方がよく勧誘に来ていたので他の宗派との聖書の読み解き方の違いを教わっていました。アラビア語が読めないのでイスラム教は学んでいませんが、いずれはコーランも読めるようになると面白そうだと考えています。そもそも父が学術的な宗教書を家の書棚に何冊か置いていたため、小さい頃に意味も分からないままそれを読みふけっていたのが根幹にあるでしょう。

 

 とはいえ、触れる機会が多いというだけで、なにも理解が深いとか宗教活動に熱心だということはありません。小さい頃は両親に連れられて集会に参加していましたが高校以降は(面倒だったので)一切参加しなくなりましたし、大学時代も散々誘われたのに教会にはついぞ足を踏み入れませんでした。(断ることが苦手な質なので、そこまで行ったら帰れない気がした)

 

 そんなこんなで仏教5割、神道3割、キリスト教2割くらいの緩い比率で私の宗教観は構成されています。中論なり禅なり隣人愛なり自然信仰なりの様々な宗教から役立つファンクションを抜き取ってライフハック的に活用している、それぞれの熱心な信者からは叱られるであろう冒涜的な人間です。クトゥルフが0.1割くらい混ざっているかもしれません。

 

 今後も宗教にどっぷり浸かる予定はありませんが、とはいえ人の信仰を否定するつもりもさっぱりありません。信仰がその人の救いになっているのであれば、それはその人にとってかけがえのないものだと思うからです。公共の福祉に反しない範囲であれば思想信条の自由は尊重されるべきでしょう。

 

広める系宗教とはどうにも相性が合わない

 ただ、様々な宗教が世の中にはありますので、私にも多少の好き嫌いはあります。

 基本的に私は布教・宣教・伝道が絡む宗教は苦手です。

 良い教えを広めて世の中を幸福にすることを信念として布教・宣教・伝道する人々の気持ちは共感しないまでも理解しますし、それはとても立派で尊い志だとは思います。世のため人のために動けることは決して悪いことではありません。

 

 ただ、布教活動を行う組織は多数の要員を必要とし、その要員を維持したりさらに拡大するためには多額の寄付や寄進を必要とする構造があることから、どうしてもお金の話がまとわりつきます。

 何もお金の話をするのが汚いことだというつもりはありませんし、お金は生活に必要な無視してはいけないものですが、幸福と金銭が連結せざるを得ないような状態はあまり健全ではないとは思っています。

 何が有ると幸福だとか、何が無いと不幸だとか、そういった状態に依存する幸福や不幸は状態の変化によって容易に失われます。理想的には状態に依存しないことが望ましいです。それが例えばお金であれば、お金が有っても無くても幸福、というほうが明らかに頑強でしょう。

 

私の幸せは貴方の幸せと同じではない

 そして何よりも、誰かが幸せだと思う物事や事象が他の誰かにとっても同様に幸せかと言えば、それは必ずしも一致するものではないと考えているからです。

 たとえばある人はケーキバイキングで何個もケーキを食べたりホールケーキ丸々1つを食べることが最高の幸せかもしれませんが、私がそれをやるとほぼ拷問です。そんなに甘いものは食べられません。

 こんなことはたとえ話を用いるまでもなく、誰もが実感的に理解していることのはずです。

 

 確かに同じ幸福を共有できないという状態は少し寂しいものですし、私が幸せに感じることを他の誰かが共有してくれることは喜ばしいことです。

 しかしだからといって「私が幸せに感じることを他の誰かも同じように幸せだと感じるべきだ」というような考えを持つのは他者の幸福選択権を無視しており、やはりどうにも傲慢に思えてしまうのです。

 むしろ私と貴方は違う幸せを持っていると認めること、それは相手の意志を尊重するという点でより現代的な人権意識に基づいたものだと考えます。

 布教したがる系の宗教はこの視点が抜けているからあまり好きになれません。それがどれだけ素晴らしい教えで、どれだけそれが幸福をもたらすものだとしても、それを選択するかどうかは相手の意志を尊重したほうが良いと私は考えています。

 

結言

「私の幸せは貴方の幸せと同じではない」

 この当たり前を忘れてしまっては、言い方は悪いですが押し付けがましい思考になってしまうことを常々留意しなければならないと、そう考えます。