忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

継続のコツをイメージで捉える:心を満たす

 走っていると疲労によって体力が失われていくように、転がる石の表面が他との接触によって剥落していくように、仕事や創作活動など何らかのアウトプットを行うことで人は摩耗していきます。

 この摩耗は物理的に何かしらが目減りするものではありません。しかしアウトプットは目に見えない自己の精神を切り売りして出力するようなものです。よってアウトプットを継続していくと当然ながら自己の残量が減っていき、いずれはまともなアウトプットができなくなります。

 

具体的な方法よりも、具体的な感覚

 「継続は力なり」と言われるように、アウトプットを継続することには価値があります。そのため「目標の立て方」や「具体的にどうやって物事を継続するか」といった継続の方法論が各所で様々語られているものです。

 しかしその実践が難しい人も多いかと思います。

 なぜ実践がし難いものであるか、それは継続する方法を具体的な感覚として掴めていないことが理由ではないかと考えています。具体的な感覚とはまた曖昧な表現ですが、要は理解の解像度が高いかどうかです。

 

 実際に継続を実践できない人は、毎日やればいいとは言うがそれは難しい、一日10分でいいとは言うがそれは難しいという風に、方法を知らないのではなく分かっているけどそう上手くはいかないという場合が多いと思います。

 しかし、これはまあ大変に極論ですが、本当に得心がいっているのであれば人は納得感を持って行動することができます。納得できない行動を取ることは苦しみを生むものであり、継続しようと行動することが楽しさを生むのではなく苦しさを生んでいる状態というのは、本当の意味での理解に至っていないということ、かもしれません。断言はできないので少し及び腰ですが。

 

 とかく、物事を継続する習慣を付けるには、小手先の方法論に頼るよりもまずは腑に落ちる感覚を優先した方が良いと考えます。

 よって今回は継続の方法について、あえて感覚的な映像イメージを想定してみましょう。イメージとしては数学や理科の問題で出てくるような水槽と蛇口で考えてみます。水槽の中に入っている液体が自己、蛇口から流れ出る液体がアウトプットとします。

 

水槽と蛇口

 アウトプットが継続できるということは、水槽の容量が大きいか液体を継ぎ足しているか蛇口の開き方が最適か、のいずれかです。

 水槽の容量には明確な個人差があり、人によっては無尽蔵とも言える器を持って延々とアウトプットを続けることができる人もいます。もはやこれは才能と呼ぶものであり、この容量差を個人の努力でどうこうすることは難しいでしょう。

 

 また蛇口の開き方はまさしくコツの部分であり、誰しも上手くやれば自己が極端な目減りをしないように長く細くアウトプットを継続することができます。

 ただ、それが理想形と言えばまた別です。アウトプット自体が目的であれば最適と言えますが、アウトプットによって何らかの成果を得たいと思うのであれば、やはり蛇口を大きく開いてアウトプット量を増やすことに注力せざるを得ません。

 よって現実的に工夫の余地があるのは液体の継ぎ足しです。

 

心を満たす

 継ぎ足す液体は何も自らのアウトプットに関連したものである必要はありません。

 種類よりも重要なのは液体を注ぐことです。何はさておき、自らが呑み込める液体の形で継ぎ足さなければなりません。

 例えば仕事でのアウトプットを増やすために仕事に関連する勉強を無理やり詰め込もうとしても、それは固体のように沈殿し、液体が入るスペースをむしろ減らしてしまうことでしょう。

 

 つまり継ぎ足す液体というのは、知人友人から得られるインスピレーションや仲間から得られるモチベーション、自分の趣味嗜好に合った娯楽や満足のいく体験、そういった、アウトプットとまったく関係が無くとも自身の心を満たす何らかを指します。そういったもので心が満たされることで初めてアウトプットの量を増やすことができます。

 多少極端な話ですが、この液体は善・良・快だけに限りません。それを好むか好まざるかは別として、痛苦や苦悩といったもので心が満たされている場合でもやはりアウトプットの量を増やすことは可能です。ただ、個人的な好みとしては楽しいことで心を満たしたほうが健全だと思います。

 

 心という容器を満たす液体は、それこそ人それぞれ異なるものです。ただ、アウトプットを継続できる人はこの心の満たし方が上手い人と言えます。

 よって、どのようにアウトプットしてどう継続するにせよ、まずは何を注ぎこめば自分は満たされるのかを把握することが重要です。方法論はその後から学べば良いかと考えます。

 

 

余談

 ここまで書いておいてなんですが、必ずしもこの考え方が万人に役立つものではありません。私の認知特性が映像優位であるため、脳内で映像化することが私にとって一番やりやすい考え方というだけです。

 人それぞれ物事の理解度を深めるためには自らの認知特性に合ったやりやすい方法を取ればよいでしょう。

(私は本田40式認知特性テストで言うところの「言葉を映像化してから思考するタイプ」の認知特性が強いため、映像で考えるのが最も腑に落ちやすいのです)

(代表例)