民主集中制・民主主義的中央集権主義・Democratic centralism。
呼び名は様々ですが、これは共産主義政党や社会主義国家の組織原理の一つであり、組織の下部構成員が上級機関や指導者の決定に無条件で従う行動規範のことを指します。
もう少し噛み砕いて言えば「上意下達」です。投票等の政治プロセスによって得られた意志決定が全てのメンバーを拘束することを意味します。
投票や話し合いなどを経由している以上、民主集中制による意思決定は表面的には民主的なはずです。
ただ、どうにもこれが民主的だとは腑に落ちなかったため、民主的とは具体的にどのような状態かについて言語化してみたいと思います。
時間の概念
上意下達自体は民主主義組織においても表出する現象です。投票や話し合いによって決まったことを実行するためにはある程度の強制力が必要不可欠であり、下は上意に従うよう求められます。よって上意下達の有無は明確な差異ではありません。
ただ、この上意下達に対する拘束力、すなわち強制力の有無ではなく強弱こそが民主的か否かを峻別する分岐路ではないかと愚考します。
つまるところ、民主的である組織の強みは「上意を批判できること」です。
民主的な組織では上意の強制力が絶対ではなく、全てのメンバーが批判を実施する余地を持っていることが民主集中制との大きな違いだと考えます。
それこそ政治権力者がアホなことを言ったら「アホなことをぬかすな!」と言える権利が民主的な組織には有り、民主集中制には無いものです。
もう少し敷衍して説明すると、民主的と民主集中制は見据えている時間が異なります。
これらはどちらも話し合いによって物事を決定しますが、民主集中制では物事の決定まで、つまり『過去から現在』までが話し合いの期間であり、未来は絶対的なものとして固定化されます。
対して民主的な組織では話し合いで物事が決まったらそれで終わりではなく、それ以降も話し合いが続いていきます。『過去から未来』に渡って話し合いが連綿と続いていき、その話し合いの合間合間で物事が動いていく、それが民主的な意思決定です。話し合いが続いていくからこそ、ひとたび上意が定まったとしてもそれを批判する余地があり、また批判があれば上意を修正するために新たな話し合いが生じます。
話し合いを続ける覚悟
確固たる自己と見解を持つ人間にとって、話し合いとは本質的に辛いものです。
スカッと単純に自論を通すのであれば暴力に勝るものはありません。
対して話し合いは時に理解困難で納得しがたい意見と対面し、互いの事情を斟酌して妥協なり譲歩を図る必要があります。暴力と比較すればまったくもってお手軽ではない茨の道に他なりません。
それでも民主的な価値観を重視するのであれば、私たちはその苦行に身を投じ、そしてそれを続ける覚悟が必要です。話し合いを続けることは覚悟が必要なほどに難しく、だからこそ多くの人は安易で簡易で粗暴な暴力へと手を伸ばすことになります。
話し合いが続くことは民主主義の強みでもあり、同時に弱みでもあると言えるでしょう。
結言
つまるところ、民主主義の本質の一端は「話し合いが続くこと」であり、それは誤った意思決定を批判し修正することができる強みであるのと同時に、苦しくとも話し合いを続けなければならない弱みだとも言えます。
私は民主主義を是とする思想なためこれを維持したいと考えていますが、いずれにしても民主主義とは脆弱なものであり、その価値を重視する人が意識的かつ能動的に保つ努力をしなければならない砂上の楼閣であることには留意が必要だと考えます。