忘れん坊の外部記憶域

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現代民主主義における暴力の否定

 かつては政治権力者による暴力が横行していた時代があるように、政治権力と暴力は不可分の存在です。しかし現代と過去で決定的に異なることがあります。それは権力闘争における暴力行使の是非です。

 

 権力闘争における暴力行使は近現代においても世界各国で様々な事例があります。もっとも顕著な例としてはナチスの突撃隊や親衛隊でしょう。彼らはドイツ国家に従う軍人ではなくナチ党に所属する準軍事組織です。

 なぜ政党が準軍事組織を保有していたかというと、当時のドイツではそれぞれの政党が他党の演説や講演を暴力によって妨害することが一般的に行われていたからです。特にドイツでは第一次世界大戦後に条約による兵数制限によって大量の軍人が失業状態にあり、彼らは様々な政党の準軍事組織に再雇用されて党の集会の保護や他党の行進や集会の妨害をしていました。

 現在でも失敗国家/脆弱国家(Flagile state)とされる国々では政治権力を争う内戦が頻繁に発生しています。非民主国家、民主途上の国家では未だ暴力によって権力を簒奪することが当然のように行われているわけです。

 

 このような歴史と事実を教訓とし、現代の民主主義では権力闘争における暴力の行使を明確に禁じています権力闘争や言論の場において暴力が行使されることそのものが現代民主主義の否定であるとまで言えるでしょう。

 

現代民主主義における暴力の否定

 現代民主主義における暴力の問題について、先日紹介した国際NGO団体フリーダム・ハウスのレポートFreedom in the Worldから暴力に関する基準を抜き出します。

A:政治的権利

A1:現在の政府首脳又は国家の最高権威者は自由で公正な選挙によって選ばれたか。

  • 選挙期間中、全ての候補者が脅迫されることなく、演説を行い、公の会合を開き、公正公平なメディアへのアクセスを享受することができたか。
  • 直近に選出された政府首脳が暴力的、非正規的、違憲的、あるいは非民主的な手段で解任されたか。

A2:現在の国会議員は自由で公正な選挙によって選ばれたか。

  • 選挙期間中、全ての候補者が脅迫されることなく、演説を行い、公の会合を開き、公正公平なメディアへのアクセスを享受することができたか。
  • 直近に選出された国会議員が暴力的、非正規的、違憲的、あるいは非民主的な手段で解任されたか。

B:政治的多元主義と政治参加

B1:国民は政党や政治集団を組織する権利を持っているか。またこれらの政党や集団に不当な障害がないシステムになっているか。

  • 政党は会合や集会の開催、メディアへのアクセス、その他の平和的活動において、差別的又は過酷な制約に直面しているか。
  • 平和的な政治活動の結果、党員や指導者が脅迫されたり、嫌がらせを受けたり、逮捕されたり、投獄されたり、暴力的な攻撃にさらされたりすることはないか。

B2:野党が選挙を通じて支持を拡大したり権力を獲得したりする現実的な機会はあるか。

  • 平和的な政治活動の結果、脅迫や嫌がらせ、逮捕や投獄、暴力的な攻撃が野党の支持拡大や権力獲得に影響を及ぼしているか。

B3:国民の政治的選択は内外の勢力による支配から自由であるか。

  • 政治体制の外部にいる主体(軍、外国勢力、経済勢力、犯罪組織、武装勢力、その他)が有権者や政治家の政治的選択に影響を与えるため、脅迫、嫌がらせ、攻撃をしていないか。
  • 大政党が政治外の手段(贈収賄、土地や雇用の支配、治安部隊による支配、民兵による支配、国家機関や資源の操作)によって有権者や政治家の政治選択に不適切な影響を及ぼしていないか。

C:政府の機能

C1:自由に選ばれた元首と国会議員が政策を決定しているか。

  • 犯罪組織や反政府勢力を含む非国家主体が、選挙で選ばれた代表者による立法の採択と実施、及び意味ある政策決定を妨害したり妨げたりしていないか。
  • 軍隊やその他の保安機関が政府の政策や活動を支配したり、圧倒的な影響力を享受しているか。
  • 外国政府は軍隊の中流や重大な経済的脅威又は経済制裁を含む手段によって政府の政策や活動を支配したり、圧倒的な影響力を享受しているか。

C2:公的な腐敗に対する保護措置は強固で効果的か。

  • 内部告発者、汚職防止活動家、調査員やジャーナリストは、自由かつ安全に違反を報告できる法的保護を享受しているか。

D:言論と信念の自由

D1:無料で独立したメディアはあるか。

  • ジャーナリストは正当な報道活動のために政府または非国家主体から脅迫、嫌がらせ、逮捕、投獄、殴打、殺害されていないか。またそういったケースが発生した場合、公正かつ迅速に調査・起訴されているか。

D2:個人が公私にわたって信仰や不信仰を実践し表現することは自由か。

  • 少数派の信仰や運動を含む団体のメンバーは、当局から嫌がらせを受けたり、罰金、逮捕、殴打を受けていないか。
  • 平和的な宗教活動に対する国家の監視は嫌がらせや脅迫になるほど無差別、広範、侵入的か。
  • 非国家主体による暴力や嫌がらせによって宗教活動や表現が妨げられているか。

D3:学問の自由はあるか。教育システムは広範な政治的教化から自由であるか。

  • 教員や教授は、国家や非国家主体による身体的暴力や脅迫を恐れることなく、政治的、準政治的な学術活動を自由に行うことができるか。

D4:政治的な話題について、監視や報復を恐れることなく個人が自由に見解を述べることができるか。

  • 人々は嫌がらせや拘束を恐れることなく、公共の場、半公共の場、あるいは私的な場で、特に政治的な性質の私的議論を行うことができるか。
  • オンラインコミュニケーションの利用者は批判的な発言に対する報復として、法的処罰や嫌がらせ、暴力を受けることがあるか。

E:結社・組織の権利

E1:集会の自由はあるか。

  • 平和的デモの参加者は、脅迫、逮捕、暴行を受けたりしていないか。
  • 平和的デモの参加者は、そのような行動を阻止するために警察に拘束されているか。

E2:非政府組織、特に人権やガバナンスに関連する活動組織に自由はあるか。

  • 非政府組織のメンバーはその活動を理由に脅迫、逮捕、投獄、暴行を受けないか。

E3:労働組合や同様の労働者団体に自由はあるか。

  • 労働者は政府や雇用主から特定の労働組合に加入、もしくは加入しないよう圧力を受け、それに従わない場合は嫌がらせ、暴力、解雇に直面するか。
  • 労働者はストライキを行う事が許されているか、また平和的ストライキの参加者は報復に直面しているか。

F:法の支配

F3:違法な武力行使からの保護、戦争や反乱からの自由はあるか。

  • 法執行機関は逮捕時や自白を引き出すために被拘束者へ暴力や拷問をしていないか。
  • 国家権力による身体的虐待を受けたとき、市民は効果的な請願と救済の手段を持っているか。
  • 法律で体罰が認められているか、またそのような刑罰が実際に採用されているか。
  • 特定の地域や一般住民の間で暴力犯罪はよく起こっているか。
  • 内戦や戦争のために、住民が身体的被害や強制退去、その他の暴力や恐怖にさらされているか。

F4:法律、政策、慣行は様々なセグメントの人々の平等な扱いを保障しているか。

  • そのような集団に対する暴力は犯罪とみなされているか。暴力は蔓延しているか。加害者は裁判に掛けられているか。
  • 移民労働者や非市民は拷問や他の形態の虐待を受けない権利を享受しているか。

G:個人の自主性と権利

G2:個人は不当な干渉を受けることなく、財産を所有し、私企業を設立する権利を行使することができるか。

  • 犯罪組織を含む民間・非国家主体が、強要などの手段で私的な事業活動を著しく妨げていないか。

G3:結婚相手や家族の大きさの選択、家庭内暴力からの保護、容姿の管理など、個人の社会的自由を享受しているか。

  • 個人的な暴力が蔓延しているか、また加害者は裁かれているか。

 

暴力行使の意味

 以上のように、フリーダム・ハウスによる民主主義と自由に関する評価では全25項目のうち18項目において暴力を否定する基準を設けており、様々な状況で暴力が行使されることを明確に否定しています。自由で、平等で、非暴力であることが現代民主主義の基本です。民主主義国家においては様々な方が「如何なる暴力も許されない」と述べておられますが、これは決して綺麗事や理想論ではなく、暴力を許さないことが民主主義や自由主義における絶対的な約束事だからです。

 多少過激な物言いですが、かつての民主主義に暴力が付き物であったように、暴力そのものが普遍的絶対的な悪というわけではありません。例として、酷い話ではありますが、独裁国家における独裁者の暴力はその社会内では悪ではないのです。

 しかし約束事を破るのはいかなる社会においても絶対悪です。そして民主と自由の国では互いに暴力を振るわないということが絶対的な約束事であり、これが守られなければ民主主義や市民の自由が失われるからこそ、誰もが暴力を批難するのです。

 暴力の行使やそれを肯定する言動は民主主義や市民の自由に対する明確な敵対行為であり、民主主義における政治活動において暴力を行使するということは、攻撃対象の個人や団体のみでなく、先人が知恵を絞り血を流して積み重ねてきた現代民主主義そのもの、そしてそこに住む人々全てを攻撃することと同義です。

 

 

結言

 このような時に私のような人間が一知半解で語るような話ではないのですが、暴力性にあてられたせいか思った以上に気落ちしており、気持ちの整理として私見を少なめにまとめました。今回の事件は、ただただ、悲しいです・・・