不思議な課長
何年も前の話ですが、別の部署に物凄く仕事が出来ない課長がいました。
その人がどれだけ仕事が出来ないかは他部署にいた私から見ても明らかで、部下の仕事はびっくりするほど把握していないし、部下の仕事はまったく肩代わり出来ないし、部下からはベロンベロンに舐められているし、毎日のようにもっと上の管理職やお偉いさんにガミガミ怒られているしで、なぜこの人が管理職をやっているのだろうと思ったものです。
私は技術職の頑固な職人気質として個人の技術や技能がモノをいう能力至上主義的価値観を持っていますので、技術や技能を持っていない人が管理職をやっていることがさっぱり呑み込めませんでした。
ただ不思議なことに、その人と仕事をすると特に問題なくスルスルと仕事が進むのです。
正確に言えばその人自身が仕事を進めているわけではありません。その人は「よく分かんないや、よろしくね」と言って人に仕事をぶん投げますし、そもそも「どうせ出来ないんだからこっちでやりますよ」と部下がすぐに仕事を取り上げてしまいます。本人は仕事が無くて暇なのか、あっちこっちで世間話をしてニコニコしています。その仕事をこなすのに適した部下がちゃっちゃと仕事をしてしまうので、問題がほとんど起きないのです。
なんだこのおっさん、自分は全然働かないじゃないかと、失礼ながら若造であった私もその人のことを当時は軽んじていました。
ポジティブ星人
少し見方が変わったのは1年ほど経ってからです。むやみやたらと重い大量の書類を倉庫から運び出す、というつまらない雑用があり、新人や若手が数人駆り出されて運ぶこととなりました。
延々と運び出しつつも、まあ皆グチグチ言います。重いやら、疲れたやら、めんどくさいやら、なんでそもそもここに置いたんだやら。
そんなところに何故かその課長がやってきて言うわけです。
「お、こりゃ大変そうだ、暇だから手伝うぞ。給料をもらって筋トレできるなんて最高だな!」
「なんすかそのポジティブさ、面白いじゃないですか」
課長自身はあっという間に疲れてダウンしていましたが、ポジティブさをちょっと見直したというか、少し見方が変わりました。
結果を出す能力
その後、よくよくその人を観察してみると、個人の技術や技能がモノをいう価値観では見えない能力や機能を持っていることに気付きました。
まずなによりもフットワークが軽く、どんな案件でも最初に首を突っ込んで一噛みしています。その案件を引き受けるわけでもフォローするわけでもないので進捗はさっぱり把握しないのですが、ネットワークを構築して初期段階で適材適所に人と仕事を割り振る機能をその課長は持っていました。
また、彼の部下だって完璧なわけでもなく仕事で失敗することはありますが、直接お偉いさんから怒られているのは見たことがありません。そもそもその課長は自分で手を動かしていないのだから仕事の失敗をするわけもなく、それなのにお偉いさんから怒られている、それは一つの側面として部下の盾役としての機能を果たしていたのでしょう。少なくともその課長は他部署と揉めた時には自分の部下を必ず庇っていましたし、失敗の責任は自身で引き受ける人でした。
その人の課は仕事が滞る事なく、問題なく回っていました。それは実のところ不思議なことではなかったのかもしれません。
見方、持ちようはそれぞれ
何もこのような上司が理想だとか上司はこうあらねばならぬというような話をしたいわけではありません。私は今でも技術屋であり、技術や技能がモノをいう価値観のままです。人柄で仕事を回すようなスタイルになりたいわけでも、なれるとも思いません。やるからには出来る人間でありたいという能力至上主義的価値観は抜き難いものですし、この思考自体は技術屋にとって不可欠です。
ただ、自分とは違う価値観があり、自分とは違う見方があり、自分とは違う心の持ちようがある。そういった自分とは違う異なるものへの考え方に大きな影響を与えたのが、その課長が気軽に放った一言「給料をもらって筋トレできるなんて最高だな!」だったということです。変な言葉なのは間違いありませんが、なぜかとても記憶に残っています。
心の持ちようという言葉があるように"心の状態"をどう見るかは心の持ち方次第なのでしょう。異なるものを理解するためには見方を変える、それはちょっと心の持ち方を変えて、見る面を変えるだけでいいのだと思います。
「給料をもらって筋トレできるなんて最高だな!」
やっぱり、なんとも変な言葉ですね。