世間知らずなポンコツ技術屋の疑問。
現実はドラマより奇なり?
先日、愛読しているブログの記事を読んだ際に少しカルチャーショックを受けました。
その部長は、手柄は上司、失敗は部下の責任という考え方。部下たちの言いたいことは通じません。
そういうのは「半沢直樹」のようなドラマの世界の話だと思っていました。
「部下の手柄は上司のもの!上司の失敗は部下の責任!」なんて、現実に有り得るのですね。
うちの技術屋の考え方
世間知らずで多様な組織の内情を知らないため、とりあえず私が所属している会社の技術部門の話をしましょう。
まず、管理職に上がるのは技術職のみです。理由は単純で、技術職以外が管理職になっても仕事にならないからです。他所から管理職を持ってきても検図の一つすらできません。
検図とは、図面が正しく書かれているか、この図面でモノを作って問題ないか、といった図面の良し悪しを検査することです。
書き損じや誤記を見つけるという程度のレベルではなく、その図面でモノを作ることが最適かどうかまで判定します。別の材質で別の加工で別の形状で作ったほうが安く頑丈で早く作れるのではないか、過去に起きた故障が再発する可能性は無いか、周辺部品との干渉は無いか、そういった点まで広く考慮し、それでもこの図面で問題ないかどうかを判断するのが検図です。
つまり図面を書いた人よりも技術に明るくないと検図はできません。そして図面の確認と承認を行うのは上司の仕事であり、必然的に管理職には検図ができるレベルの技術力が求められます。
技術職は専門職であり、検図に限らず仕事の是非を判定するためには専門的な知識が不可欠です。だからこそ技術部門で管理職になる人は否応なく技術職あがりに限られます。
評価基準も担当者と管理職ではまったく異なります。
最近は人手不足のためプレイングマネージャーがどうのこうのという話も出てきていますが、とはいえ今なお管理職の評価基準は部下の成果が出たかどうかです。
これも理由は簡単で、管理職個人の技術的成果は評価対象から外されているためです。管理職はすでに技術力があることが証明されている以上、求められているのはマネージャーとしての成果のみとなります。
そのような昇級基準や評価基準ですと「部下の手柄は上司のもの」となりようがありません。部下が手柄を立てなければ上司は評価されませんし、そもそも部下の手柄が同時に上司の手柄です。
それこそ上司が部下の設計した製品を奪い取って「新しい製品を設計しました!」なんて上に報告しようものなら、「それはお前の仕事じゃねえだろ、何やってんだ仕事しろボケ」で終わりです。
また部下の失敗は同時に上司の失敗です。部下が成果を出せないのは部下よりも技術力を持っているはずの管理職の指導力不足と判定されるからです。
よって部下と上司の評価は一蓮托生であり、部下がちゃんと手柄を立てられるよう必死にマネジメントとフォローをするのが上司の仕事になります。
このような組織は担当者に甘く管理職に厳しいと取ることもできるでしょう。なにせ管理職が評価されるためには自身の努力だけでは足りず、「他人である部下が頑張ってくれる」ことが前提ですので。
(部下のやる気を削いで成果が出なくなると上司の評価が格段に落ちるので、パワハラが起きにくくなるという副次的な利得もある)
悪い人が得をしない仕組みが肝要
そんな集団で仕事をしている身からすると、「部下の手柄は上司のもの」というのはつまるところ人事考課の設計ミスでは?と思ってしまいます。
つまり、人の手柄を盗むことにインセンティブが働くような評価基準が問題でしょう。組織の都合で上司と部下を分けているのですから、評価基準も上司と部下で分けなければいけないと考えます。同じ評価基準では立場の弱い人が不利になるのは必然です。
私自身は人の善性を信じる派ではありますが、善性に依存してはいけないとも思います。善い人は世の中にたくさんいますが、悪い人がいることもまた事実であり、そういった人が悪事を働くことを前提として制度設計を行うべきでしょう。
頑張って結果を出した人はちゃんと評価されて、悪事を働いた人には罰が下る仕組みでないと誰も頑張らなくなってしまいます。昔から言われているように信賞必罰はとても重要です。
まあ、仕組みで困っている人には仕組みを変える権限が無い、という世の中の根本的な問題があるのですけどね・・・
余談
若手の頃、呑み会で聞いた話が記憶に残っています。
私「技術屋って楽でいいですよね、基本実力主義なんで、ゴマスリとかそういうのとは無縁で」
部長「何言ってんだ、そんなの管理職までで、役員は別だ。俺より上の奴らを見てみろよ。どいつもこいつも能力もねえのにゴマスリばっかりで上に行ってるじゃねえか」
私「わー、わー、声大きいです。すみません余計なこと聞きました、酔い回ってますねー」