後輩「海外赴任前の最終出勤日なので、お別れの挨拶に来ました」
私「数年で帰ってくるのに今生の別れみたいな言い方だね。まあ大変だと思うけど頑張ってな。うちは仕事ができる奴しか海外に送らないから、上から認められたと思えばいいさ」
後輩「いや、俺全然仕事できないですよ。現地で関わる製品のこともほとんど知らないですし」
私「なに、君は凄く仕事ができる奴だよ」
『仕事ができる』はよく用いられるフレーズではありますが、そのニュアンスは人によって異なります。
今回は私なりに考えている『仕事ができる』ことの意味をまとめていきます。
『仕事ができる』と『仕事がこなせる』
まずは言葉の定義を整理します。
『仕事』を辞書で引けば、次のような意味を持っています。
1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。
3 したこと。行動の結果。業績。
仕事とは幅広い意味を持っており、その途中経過の行動から最後の結果、さらには全体を包括した職業としてなど、文脈によって自由に用いられます。
次に『出来る』を辞書で引けば、やはり様々な意味を持っています。
4 まとまったもの、完全なものに、つくりあげられる。仕あがる。
7 人格・能力・成績などがすぐれている。
9 それをする能力や可能性がある。
これら言葉の意味からして、『仕事ができる』とは「結果を仕上げること」と「経過を処理する能力があること」の二つに大別することができるでしょう。
これらを混同してはややこしくなってしまうため、今回は仕事の基本要素であるQCD(品質・コスト・納期)を基礎にして考えます。
すなわち仕事をアウトプットの結果そのものと定義し、適切な品質のものを適切なコストによって適切な納期内に仕上げることが重要だと考えて、言葉を次のように定義します。
結果を仕上げることができる・・・仕事ができる
経過を処理することができる・・・仕事がこなせる
例えばあるソフトウェアの開発プロジェクトがあるとしましょう。
そのソフトウェア開発に必要なスキルを持っていて、実際に手を動かして開発ができる人は『仕事がこなせる』人です。
そのソフトウェアを顧客が求める品質で、顧客が買える価格で、期日に間に合うようにリリースできる人が『仕事ができる』人です。
この違いは『仕事ができる』人が必ずしも『仕事がこなせる』必要はないことを示唆しています。
求められるスキルの違い
若いうちは『仕事がこなせる』ことを求められます。上司から与えられる仕事は全体の一部であり、必要な作業を実際に手を動かして処理するスキルが必要です。
しかし歳を取って権限が増してくると話は変わり、『仕事ができる』ことを要求されます。求められるのは作業をこなすことではなく利益といった成果を出すことであり、そのための方法はコンプライアンス違反にならないのであれば問われません。自身で処理しようが、部下に処理させようが、外注しようが、関係ありません。必要なのは結果を出すことです。
単純化して言えば、人の10倍『仕事がこなせる人』が独力で結果を出したとしても、11人の人を上手く管理して自身はタスクを処理せずとも11倍の結果を出す人のほうが『仕事ができる』人と評価されます。
これは個人の技能を疎かにしていいという話ではありません。『仕事がこなせる』こと自体はとても重要な技能ですし、仕事をこなせない人が他人に仕事をこなすよう指示するにはある種のカリスマや人徳が必要になります。『仕事がこなせる』スキルは持っているに越したことはありません。
ただ、重要なのは結果を出すこと、すなわち『仕事ができる』ことであり、『仕事がこなせる』ことは必須要件ではないという話です。
結言
冒頭で言及した後輩は海外赴任先で関わる製品のことを知らないため、すぐに『仕事がこなせる』ことはないでしょう。
しかし彼は未経験のタスクであろうとまずは即座に着手する積極性、動き回って仕上げようとする行動力、最適解を探すために複数の方法を模索する構想力、分からなければ誰にでも気兼ねなく相談する質問力、そういったものを持っています。
受け取った仕事を必要な品質で、適切なコストで、求められた納期内に完了させるために必要なアクションが取れる人間です。
そういった点から、彼は『仕事ができる』人間だと私は評価しています。
余談
この記事で書いた「課長」は、仕事ができる人です。