不定期ではあるもののニュースで頻繁に見かける「相対的貧困率」について、個人的な見解をつらつらと述べていきます。
特に目新しい情報はありません。
相対的貧困率とは
相対的貧困率の定義は以下です。
国民生活基礎調査における相対的貧困率は、一定基準(貧困線)を下回る等価可処分所得しか得ていない者の割合をいいます。
貧困線とは、等価可処分所得(世帯の可処分所得(収入から税金・社会保険料等を除いたいわゆる手取り収入)を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分の額をいいます。
これらの算出方法は、OECD(経済協力開発機構)の作成基準に基づきます。
一言で言えば、所得中央値の50%以下しか所得を得ていない人の割合が相対的貧困率です。
具体的な数字で話をしましょう。
世帯人員の調整は面倒なので、単身世帯が5世帯ある国の相対的貧困率を例として、それぞれの等価可処分所得を以下としてみます。
[100, 200, 300, 400, 500](万円)
所得中央値は300でその半分は150のため、これを下回るのは1世帯です。
よってこの国の相対的貧困率は20%とされます。
相対的貧困率はあまり良い指標ではない
絶対的貧困率は「衣食住といった必要最低限の生活水準が満たされていない人の割合」であり、貧困を直接的に捕捉しています。
それに対して相対的貧困率は『貧困』という言葉が入っているものの、貧困線の50%を下回った層がどのような生活をしているかを捕捉していません。
つまり、相対的貧困率はすでに各所で語られているように、貧困の程度を表す指標ではなく格差の程度を表す指標です。この割合に『貧困』という言葉を用いると混乱が生じるような気がしてなりません。
さらに言えば格差を表す指標としても相対的貧困率は不十分です。
例えば次のような所得分布を考えてみましょう。
[100, 100, 100, 100, 1000000](万円)
この場合、所得中央値は100、その半分は50のため、それ以下の世帯は無いことから相対的貧困率は0%です。
しかしこの所得分布で「相対的貧困率は0%だから貧困も格差も無い」とは決して言えないでしょう。
また等価可処分所得で計算されている点も注意が必要です。
相対的貧困率では貯蓄が考慮されておらず、貯蓄が充分にある年金受給者やアーリーリタイヤして無職になった人も相対的貧困の枠に入ってしまいます。
たとえば何十億円も貯蓄がある自営業の社長さんが引退すると所得が国民年金のみになりますので相対的貧困に該当しますが、その判定が意味あるものとは思えません。
本当に困っている人を助けるべきだと思う
福祉が捕捉して援助すべきは、所得が少なく貯蓄の余裕が無いシングルマザーや貯蓄が無く国民年金だけで暮らしている独居老人を代表とした所得が少なく貯蓄も無い層であるべきだと考えます。
そして相対的貧困率はそれらを捕捉するには不十分な指標です。
極論、富の一極集中が進み中間層が消えて皆が貧乏になれば相対的貧困率は下がります。そして相対的貧困率を目安に福祉を行うと『所得が要らないレベルの大金持ち』にまで援助の手を差し伸べることになってしまいます。
結言
適切に困っている人を捕捉するにはどうしても貯蓄の捕捉が必要になります。ただ、マイナンバーカードで議論が紛糾したように、国家が国民の資産を把握することについては忌避感を覚える人もいるでしょう。税務署から隠したい資産を持っていない私のようなサラリーマンのたわ言としては、本当に困っている人を捕捉するために雀の涙程度しかない私の貯蓄を国家に把握されたって別に構いやしないのですが、自由と管理は二律背反関係であり世間の同意を得られるかはなんとも難しいとは思います。
なんにせよ相対的貧困率は貧困の捕捉にはあまり役に立たない指標であり、本当に困っている人を捕捉するにはもっと別の方法が必要です。
余談
貧困とは別の格差問題の指標としてならば相対的貧困率は役立ちます。所得格差は長期的にも悪化・固定化するものであり、相対的貧困率を下げるよう適切な再分配が必要です。
ただし前述したように相対的貧困率は「極度な富の一極集中でも下げることができる」悪いハック方法がありますので、そこには注意しなければなりません。