忘れん坊の外部記憶域

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格差はそれそのものが問題なのか

 世間的に格差は問題だと言われることが多いでしょう。実際、格差は差別の温床であり、それが問題視されることは不自然なことではありません。

 ただ、直接的に格差を否定してその是正を図るのであれば結果の完全な平等が必要になります。結果が平等でなければ格差が是正されたとは言えません。よってその方向は全体主義的かつ社会主義的なものとなります。

 個人的な考えとして、過剰な格差は社会の紐帯を緩めて治安の悪化や社会の分断を生み出すことから不適切だと思いますし、個人の努力ではどうにもならない構造的格差は是正されるべきだと信じます。しかし努力が報われない社会はあまり好きではないことから、結果の完全な平等が良いことだとも思っていません。

 

 格差是正は適切だと考えるが格差の撲滅は必ずしも良いとは思わない、この間隙が何故生じるかと言えば、実のところ私は格差を必ずしも全てが問題だと思っていないことにあります。

 

問題なのは「差があること」ではなく「困っていること」

 格差は実際に生じている事象です。経済格差がメジャーではありますが、それ以外にも世代や地域などで様々な格差が生じています。

 ただ、生じている事象と問題は必ずしもイコールとなるものではありません

 ビジネスに限らず世の中の問題でも同様に事象=問題という錯誤に陥っている事例があまた見受けられます。「こういうことが起きている」「それは問題だ」という論理展開です。

 しかし実際はその起きている事象によってどんな問題が起きているかを深堀りし、なぜこういうことが起きているかの根っこを捕捉し、そこに対策を打つ必要があります。そうしなければ、葛のつるを引っこ抜くような事態となり、延々と続く不毛な議論と無意味な対策のもぐら叩きに陥りかねません。

 

 格差についても同様に、格差があることそれそのものが問題となるかは別の話です。

 経済格差を代表として考察すると、個々人で所得や資産に差があることはそれ自体が問題ではありません。たとえ差があったとしても誰もが食うに困らず自己実現できる程度の収入があればそれは安定した社会だと言えます。反対に誰もが食うにも困る収入しかなければ格差が無くとも問題です。

 経済格差という事象そのものが問題なのではなく、格差によって下位の層が貧困に至ること、つまり貧困こそが問題です。

 事象と問題を混同してしまうととにかく格差を無くせばいいと誤認することになりかねませんが、実際は格差に困っているのではなく、そこから生じた貧困に困っているのであり、それこそが問題だと認識すべきです。

 

 そもそも格差が貧困を生むかどうかは状況に依ります。

 経済成長が続いている社会では全体のパイが増加する方向となり、市場はプラスサムとなります。余剰資金を投資に活用できる富裕層とそうではない層の格差は拡大する方向となりますが、全体が底上げされていくため富裕層が儲けても別の層が貧困に陥るわけではありません。

 反対に経済成長が止まった社会では全体のパイが固定化されるため、市場はゼロサムです。誰かの利益は誰かの損失となることから、格差の拡大は必然的に下位の層の貧困に繋がります。

 日本は経済成長が鈍化した社会であり、必ずしも断定的に言えるわけではないものの格差の拡大が貧困の拡大に繋がる蓋然性はあります。よって格差是正を叫ぶことは貧困の解消になるかもしれませんが、しかしそれが必ずしも貧困の対策になるとは限りません。好ましくない想定ではありますが、格差は無いが誰もが貧困な社会も有り得ます。それはあまり望ましい社会ではないかと思います。よって解決すべきは格差ではなく貧困であるべきだと考えます。

 

結言

 格差そのものを是正しようとすると、最終的には結果の完全な平等を目指す必要が出てきます。それは一つのユートピアかもしれませんが、人それぞれ能力や思想には差異があり人々を完全にまっ平らな状態にすることはできませんし、私のようにそれをあまり好まない人もいる以上、現実的には実現することが難しいと思います。

 だからこそ、格差そのものを問題とするのではなく、貧困や不利や差別など格差によって生じている真の問題に焦点を当てるべきであり、格差は事象に過ぎず、貧困や不利こそが改善すべき問題だと考えます。格差の是正がそれに資する可能性はありますので格差是正を否定はしませんが、問題の焦点はそこではないはずです。