ゴールデンウィークは日記を書いてみるのも、悪くないかもしれない。
ゴールデンウィーク2日目もお片付け
廃棄を主目的として漫画や本を古本屋に持っていく。
書籍に関しては何年も前に会社の社員寮を出て以来ほぼ全て電子書籍へ移行している。電子化されていない専門書や古書だけは残してあるがそれ以外は徐々に電子版で再購入しているため、同じ本を二度買っていることになるがそれはやむを得ない。 引っ越しの度に床が抜けることを心配しながら何箱もの段ボールを運ぶことには嫌気が差した。それを避ける為ならば同じ本を二度買うくらいなんでもない。
よって紙の書籍はほとんど残っていないが、まだ僅かに残っていたので処分した。幸い大きな段ボール1つ分でなんとか収まったものの、そこそこに重い。明らかに2箱で分けるべきだった。腰に爆弾を抱えた人間が持ち上げていい質量ではないだろう。そして今日の空は憎たらしいほどに好天で、暑い。
次にタイヤとチェーンを車へ積み込んでカーショップへ買取・処分に行く。 処分が目的で廃棄コストの足し程度になればいいので、買取価格なんて二束三文でよい。実際、二束三文だった。
タイヤは当たり前だが重い。そして当たり前だが4本もある。そして外は当たり前のように暑い。
最後に、どう考えてもリユースしようがないであろうゴミを車に詰め込む。これは後日に処分場へ持ち込むための準備だ。しかし4月だというのにとにかく暑い。
いい運動にはなったが、休日にやるにしては少し強度が高い。夕方には体が悲鳴を上げ始めた。
そして、なんというか、ただただ暑い。
中古に関する考え方
私は元々中古品は買わない新品至上主義の人間だが、引越しの時だけはありがたく買取サービスを使わせて貰っている。なんとも少し自分勝手だとは思う。
中古を好まないことにはいくつか理由が考えられる。今まで言語化したことはないが、この機に考えを整理してみよう。
まず、信頼性に関して担保がないことを少し忌避している。
新品のものは製造者が法に基づいて品質を保証しているが、中古品にはそれが無い。誰がどう使ったかもトレーサビリティが取れているわけでは無いので分からない。
つまるところ中古品には安物買いの銭失いになるリスクがあり、ざっくり言えばギャンブル的要素があると考えている。
そして私はギャンブルが苦手だ。自分の運は比較的悪くないとは思っているが、それでもギャンブルは確率に基づいて大抵は負け戦になるものであり積極的に手を出したいとは思わない。
次に、物によって中古品は市場を荒らすことを懸念している。
中古市場が拡大し過ぎると新品を作る生産者の利益が薄まり将来的に供給が先細っていくことも考えられるため、あまり中古市場に貢献したいとは思えない。
潔癖が理由、ではないと思う。
別に誰がどう使ったか、それ自体は特に気にならない。
そういった表面的なものよりは中古品そのものに対する不信があるのだろう。
つまるところ根底にあるのはメーカー側の発想だと思われる。
今は定年しているが両親もメーカーに勤めていた人間であり、両親が中古品を買っているのは見たことがない。そんな両親から教育を受けてさらに今は自らがメーカーに勤めている以上、製造者として適切に品質が保証されて上市された新品を嗜好するのはもはや自然だとすら言える。
もちろん昨今の環境問題を軽視しているわけではなく、リユースが重要なことは分かっている。まだ使えるものや資源の節約になるものであれば中古品が出回ることも悪くないだろう。
やはり中古品を忌避しているのは個人的な趣味であり、ちょっとした我儘だ。
結言
日記を書きたいのか、いつものように思考を書き記したいのか、書いている途中でよく分からなくなりました。
なんというか、日記が下手です。