忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

時間を効率的に使う意識は何事にも役立つ

 当たり前のことなのですが、今月から通勤時間が往復20分から往復3時間に伸びたので一日の可処分時間がそこそこ削られた感覚です。

 一応、車から電車への変化であり車の運転中にはできなかったことが電車ではできるので可処分時間の純減ではありません。

 とはいえ電車内でできることは限られていますので自由度の減少ではあります。

 

 まあ、せっかくなので通勤時間は英語の勉強にでも費やします。

 遊べる環境にいると遊ばずにはいられない性格ですので、勉強くらいしかやることのない電車通勤は勉強に集中する良い機会だと思うことにしましょう。

 

 それで先日も降りる駅を間違えたわけですが。

 私は意外と集中力が高い人間です。視野が狭いとも言います。

 

効率化の目的

 なにも「空き時間は勉強に費やすべきだ」的な意識の高いことを言いたいわけではないですし、そんな性格でもありません。

 ただ単純に、効率化はあらゆる目的・目標を達成するために不可欠なスキルであり、効率化の技術を磨くことにはそれ自体に意味があると考えているだけです。

 

 以前から述べてきたように、目標があれば方法は自然と定まるなんて考えは幻想です。できないことはできませんし、無理なことは無理です。「明日までに億万長者になる」なんて目標を立てたとしても、それを実現できる手段が無ければ絵に描いた餅に過ぎません。目標はまず方法あってこそだと肝に銘じる必要があります。

 

 つまるところ、目標を達成するためには資源(手段)をどれだけ持っているかが重要であり、そして時間は人にとって最大のリソースです

 多少過言ではありますが、時間を効率的に使い可処分時間を多く確保することはどのような目標に対しても役に立つものです。何事においてもある程度の範囲は時間さえあればなんとかなります。

 

 また、何も全ての人が高い目標を立てて邁進しなければならないわけではありません。それができる人がやればいいだけの話であり、確保した可処分時間はそれこそリフレッシュや遊びに費やしてもいいものです。

 遊びだろうと学びだろうとどのような目標を立てて資源を消費するにしてもまずはそのための資源を確保することが必要であり、だからこそ時間を効率的に使う意識はいつでも、誰にでも、そしてどんな時にでも役立ちます。

 

結言

 目的は人それぞれ異なります。より豊かな暮らしを求めて成長を志向する人もいれば、辛い現実で折れないようメンタルのリフレッシュを求める人もいます。

 すでに目的があるのであればそれを実現するため、あるいはいずれ何かしらの目的が見つかったときにそれをするだけの余裕を持つため、物事を効率化して可処分時間を最大化する術を身につけておくことは大抵の場合で有益です。