忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

気分良くお金を出してもらいましょう

 どのような社会集団であろうと格差の是正は常に議題とされる社会問題です。社会集団はまったく異なる個々が集まって構築されることはなく、目的なり属性なり何らかのものを共通項として構築されます。よってその構成員に大きな格差がある状態では『同じ集団の仲間とは思えない』という意識が働いてしまい、その社会集団に属して維持管理に奉仕する理由が無くなるからです。

 これは格差によって利益を得ている側、損失を受けている側の双方に言えることです。過剰な格差はそれに起因した犯罪や不公正な事象を引き起こします。

 だからこそ社会集団の紐帯を維持するためには構成員が共通項で結ばれた存在であるという意識、得ている富貴とそれに比例した義務の量への納得感、大まかな表現で言えば『公平感』や『平等感』が不可欠と言えます。

 

 格差の存在は社会集団の主義主張や規模に依存しません。資本主義や社会主義、国家や自治体といったものに関わらず、格差は生物が構築する社会集団の構造的な課題です。格差があるということはそれだけで社会集団の分断や崩壊、治安の悪化や競争力の低下を招きかねないものです。

 

公平感と平等感

 理想を言えば格差がまったく無い同質の状態こそが社会集団にとって最適です。完全に同質の構成員で構成されていればその紐帯を維持するのになんら支障は発生しないでしょう。

 もちろんそれはまったくもって現実的ではありません。構成員をまったく同質にすることは物理的に不可能であり、構成員それぞれの環境や能力には必然的な差が生じます。

 単純に結果だけを平等に均すと、より多く能力を発揮している人からすれば不公平感が生じるでしょう。同様に、機会だけを平等に均すと、結果の格差に不満が生じることになります。

 必要なのは全体的な『公平感』や『平等感』ですが、それらを実現するための絶対的な方法や基準は存在しないことから、社会集団は許容できる範囲に格差を抑えることを都度都度腐心する以外ありません。

 

富の再分配

 つまるところ、全体的な『公平感』や『平等感』のためには適切な富の再分配が不可欠です。

 残念ながら歴史上、このような富の再分配が充分に為されるには暴力的な事態が必要でした。それは戦争であったり、暴力革命であったり、国家の破綻であったり、大規模な疫病であったりするものです。そういった悲劇によって既存の社会システムが崩壊し、多数の無辜の人々が不幸になることによって初めて、固定化された資本や富が再分配されてきたことは事実です。

 しかし現代においてそのような再分配を本気で検討するのが良い話だとは思えません。確かにそういった暴力的な事態が富の再分配機能を持っていることは事実ではありますが、それを再現するには無数の人々の不幸が不可避であり、それを必要悪とするには現代の倫理と人権意識は発達し過ぎています。

 要は、「おう、お前ら、金出さんと暴力に物言わせるぞワレ」という解決方法以外を模索することこそが現代的です。

 

ノブレス・オブリージュ

 現代において最も先進的かつ非暴力的に『持つ者から持たない者へ再分配する』理屈として用いられているのはノブレス・オブリージュでしょう。和訳は様々ですが、「地位の高い人の義務」あたりが無難でしょうか。財産・権力・社会的地位を持っている人がそれを保持するには義務が伴うという考え方です。

 これ自体は古代からある思想ではありますが、強く不文律化されたのはフランス革命後の欧州においてです。その後の現代社会においてもセレブの寄付やボランティア、企業のCSRというように各所でノブレス・オブリージュの精神に基づいた行動が求められています。

 

 私としてはこれをもっと拡大すればいいと思うわけです。

 今までのような

「金持ちにはもっと重税を!」

「大企業の蓄えている金を出させろ!」

「誰のおかげで儲けてると思ってるんだ!」

というような少し暴力的な物言いをしてしまっては、金持ちだって嫌な気持ちになると思うわけですよ。「これは俺が稼いだ俺の金だ、なんで配らなきゃならんのだ」という気持ちになるのも分かるというものです。

 そのような過激な言い方ではなく、もっと非暴力的に、

「社会貢献をするのは素晴らしい!人間の鑑だ!」

「貴方のおかげでこれだけの人が助かりました!」

「よ!御大尽!」

というように、社会全体でもっと誉めそやす雰囲気にしたほうがいいと思うのです。同調圧力の悪用と言えば悪用なのですが、そのほうがお金を出す側も気分が良いでしょうし、お金を出しやすくなるのではないでしょうか。

 富裕層の多くは既存の社会システムによって利益を得ています。それはつまり、既存の社会システムが崩壊すると大きな損失を被るということです。だからこそ格差が拡大して歴史的に幾度も現出してきた暴力的な事態が生じることを防ぐため、ぜひとも積極的にノブレス・オブリージュを実行してもらえますと、恐らく双方により望ましい結果になるかと思います。そのためには人々がノブレス・オブリージュを実行しやすい環境作りをしてあげればいいのではないかと。

 このような方向性のほうが、暴力的な事態を生き残った人々によって富の再分配を行うよりも全体の幸福量が増加すると、そう思います。

 大企業や富裕層には気分良くお金を出してもらいましょう?