忘れん坊の外部記憶域

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民主主義と資本主義の関係、富は独占されているか

 世の中が混乱した際に必ず話題となるのが民主主義や資本主義、すなわち自由主義に属する思想への懐疑論です。16~17世紀に自由主義が登場して以降、戦争や疫病のような混乱が生じた際は必ずと言っていいほど「人々の自由を抑制すべきだ」とする意見がメディアや論壇に現れます。

 私は自由主義の国に生まれ自由主義の恩恵を受けて育ってきた人間のため、自由主義への愛着を持っています。なにも自由主義が瑕疵の存在しない完全無欠の考えだとまではさっぱり思いませんが、とはいえ自由主義にたとえ瑕疵があるとしても捨て去る必要はないと考えます。

 問題を見て見ぬ振りをすることも、問題があるからと投げ捨てることも簡単です。しかしそれはより良くする道になるとは限りません。確実により良くする道を歩むのであれば、たとえ難しくとも問題と向き合い、根気強く手直しすることです。大変な道ではありますが、それが確実に進歩を生みます。

 つまり、民主主義や資本主義には確かに瑕疵がありますが、だからと言ってそれを捨てればいいとまでは考えません。問題があるならば修正すればよいのです。

 

 このような考えのため、今回は自由主義の根幹である民主主義・資本主義の擁護をしてみます。特に目新しい意見ではないと思いますが、ご了承願います。

 主なテーマは「格差」です。

 

民主主義と資本主義の関係、富の独占

 資本主義であれば民主主義になるとは限りません。

 しかし民主主義の国は全て資本主義です。資本主義であることはある程度以上の規模を持つ集団の民主化にとって必要条件です。中国のように一部の集団が資本を独占した状態でも資本主義は成り立ちますが、その状態で民主主義が成り立つことはありません。

 この理由は簡単で、資本とは発言力そのものだからです。民主主義は個々人が発言力を持つ形態であり、そのためには資本による発言力が民衆にまで分散されている必要があります。

 つまり、少なくとも国家規模の組織において、民主主義を維持するためには資本主義を維持することが不可欠です。そのため、民主主義を擁護するためには資本主義を擁護する必要があると私は考えています。

 

 民主主義の国家でも資本の格差が騒がれていますが、それには少し誇張があります。例えば日本では100万ドル以上の資産を持っている人は数%程度の人ですが、10万~100万ドルの資産を持つ層は50%を超えています。前者と後者の富をそれぞれ合計すると、そこまで大差はありません。

 つまり極一部の人が富をたくさん持っていることは事実ですが、極一部の人が富を独占しているわけではないということです。

引用元:クレディ・スイス グローバル・ウェルス・レポート2022

 

 現実に極一握りの人が富を独占しているのは非民主主義国家のほうです。例として以下の図を見ればわかるように、中国では日本や韓国、シンガポールや台湾と違い10~100万ドルの層が薄いことが分かると思います。それはつまり、資本の独占が起こっていることを意味します。

引用元:クレディ・スイス グローバル・ウェルス・レポート2022

 もちろん資本主義が過熱すれば格差が広がることは事実ですし、それは是正されるべき問題です。しかし資本主義・民主主義を採用している自由主義国家のほうが非自由主義国家よりも現実的に格差が少ない、これもまた重要な事実だと考えます。民衆に資本獲得の機会を与えては独裁や専制制度を維持できなくなるのだから、非民主主義国家において苛烈な格差が生まれるのは当然の帰結です。

 

資本主義のプラスサムゲーム

 資本主義によって富が独占される、との考えには一つの誤解があると考えられています。

 それは取引をゼロサムゲームだとする誤解です。

 ゼロサムゲームとは参加者の得点と失点の合計がゼロになるゲームを指します。「誰かの利益は誰かの損失である」とする考えです。

 一定の場合で取引がゼロサムゲームになることは事実です。パイの大きさが一定であれば、切り分け方や分配の仕方によって損得に差が出ます。よって「誰かが富を多く持っているのは他の大勢に損をさせているのだ」とする考えは場合によっては正しいこともあります。

 しかしながら、資本主義における自由市場では必ずしもゼロサムゲームが成り立つとは限りません。むしろ多くの場合で総和がゼロではなくプラスで終わるプラスサムゲームになります。

 

 これは日常的な取引を考えれば分かると思います。

 例えば10000円の商品を購入する場合、その取引がゼロサムになっているかと言えばそうとは限りません。何故ならば販売側は10000円で提供することで求める利得を得られると考えているから10000円で販売しており、客側もその製品から得られる利得が10000円を超えると判断しているからこそ購入します。互いに納得してその金額で取引が行われるのであり、どちらかが損をすると考えた時点でそもそも商取引は成立しません

 互いが利益を得られる金額まで価格が自動的に調整されるのが自由市場の特徴であり、これはゼロサムではなくプラスサムです。

 逆に社会主義の統制市場ではプラスサムが発生しにくくなります。販売側は得たい利益に合わせて価格や生産量を調整することができず、客側も商品を選ぶ自由が無いためです。否応なしにどちらかが損をする条件、ゼロサムで商取引を行わなければなりません。

 

 これらを比較すれば分かるように、得られる富の量自体は元々の資本力に依存するものの、プラスサムで富を得られるのが資本主義であり、社会主義ではゼロサムで資本力の強い方が一方的に得を得ます。

 つまり「資本主義によって富が独占される」とするのは一部誤解で、むしろ資本主義以外のほうがよっぽど富が独占される結果を生みます。

 

結言

 今回は格差を代表例として自由主義の擁護を行いました。

 格差以外にも自由主義を擁護する理屈はありますし、自由主義の問題点について取り上げるべきこともありますが、文章が長くなってきたのでひとまず終いとします。