現代日本において最も金融資産を持っているのは60歳以上の方々であり、金融資産シェアは60歳以上の方々が7割を占めています。
まあ、よくよく考えなくてもこれは当たり前のことです。培ってきた知恵と経験による高所得、積みあげてきた貯蓄、人生における大きな出費の完了、そういった諸要素を鑑みればお金を持っている層が高齢者に偏るのはごく自然なことです。
今回はそんな高齢者のお金に関する戯言をば。
高齢者はお金を持っている、が
「高齢者はお金を持っている、取り上げて再分配しろ」と言った類の言説を時々見かけるのですが、これを安易に言ってしまうのは少し危険だと考えています。
第一に、個人が必死に貯蓄してきた資産をサッと掻っ攫っていけるほど国家に権力を与えることには気軽に同意し難いです。そんな強権的な政治は自由主義国家として望ましいものではなく、再分配は主権者たる国民の合意の上で許容される範囲で行われなければなりません。
そもそも「いきなり貯蓄を奪われる可能性がある」「年を取ったら貯蓄を奪われる」ような国では誰もが消費を避けて必死に資産隠しを行うことになり、景気はより冷え込む可能性があります。
第二に、再分配である以上「持っている所」から「持っていない所」へ資産を移転することになりますが、「金融資産シェアは60歳以上の方々が7割を占めている」ことと「高齢者はお金を持っている」ことは完全なイコールではありません。
少し前提条件が異なりますが、一例として「世帯主の年齢が65歳以上の世帯」の貯蓄分布を見てみましょう。
4000万円以上の貯蓄がある世帯は17.3%と、確かに高齢者はお金を持っています。
しかし中央値1555万円以下の「世帯主の年齢が65歳以上の世帯」も約50%であり、高齢者全員がお金を持っているわけではありません。
さらに言えばこのグラフは「二人以上の世帯」が対象であり、「高齢者の女性単身世帯」は「二人以上の世帯」よりも平均貯蓄額が低いことから、総合的に見て中央値以下の貯蓄額である高齢者世帯は半数以上となります。
このような貯蓄分布を考慮せずに「高齢者はお金を持っている」として手当たり次第高齢者から貯蓄を取り上げるようなことをしてしまっては貯蓄の無い高齢者が困ってしまうでしょう。
つまるところ、再分配の議論は属性で単純に区分すべきではないと考えます。
安易に高齢者から手当たり次第お金を掻っ攫って適当に若者へばらまくようなことをすれば国家への信頼感は毀損され、貧乏な人から金持ちへと誤った再分配が行われることになります。それは福祉の理念からして適切ではありません。
もちろん再分配は「持っている所」から「持っていない所」へ資産を移転することであり、大まかな枠組みとしては高齢者から現役世代への資産移転、或いは社会保障関係費の予算削減が必要になることでしょう。
ただし、単純な属性での区分ではなく、持っている人と持っていない人を適切に把握し、持っている人には頭を下げてお願いし、確実に持っていない人へ分配されるように、丁寧に、そして慎重に再分配が行われる必要があると考えます。
お金の話こそ慎重に
お金が手に入れば嬉しいものですし、お金を失えば悲しむものです。
金銭問題は人間関係を容易に破綻させます。
つまり、お金は人の心の『情の部分』を強く刺激します。
お金の話は多くの人が感情的にならざるを得ない事柄だからこそ、再分配の議論は感情論で殴り合いにならないよう極めて慎重に、そして丁寧に行われなければならないと考えます。
win-winのほうがいい
理想論ではありますが、お金を持っている高齢者の方からお金を取り上げるのではなく、お金を持っている高齢者の方がお金を使いたくなる使い道を用意するほうが望ましいと思っています。貯金を国に掻っ攫われるよりは何か満足いくものに使うほうが納得感があると思いますし、直接的に経済が回りますので。まあ、空想でしかありませんが。
余談
同様の話を書いたことがあるのを思い出しました。
後は、再分配で不可欠なのは透明性です。「とりあえずお金持ちからお金を掻っ攫います」「どこに分配するかは内緒です」なんて状態で誰が納得してお金を払うんだという話ですので。