忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

誰かに助けを求める時は、多数に求めた方が良い

 人にはそれぞれキャパシティがあります。器と言い換えてもいいでしょう。コップのような容器です。

 その器の大きさは先天的な性格や個性、或いは後天的な環境や教育によって大小が変化し、その器の中身は日常の負荷やストレスの度合いによって変動します。

 器は満たされている状態が望ましく、器が液体で満たされていない場合、人は苦痛を覚えます。

 器が小さくすぐに満たせる人もいれば、器が大きすぎてなかなか満たせない人もいます。中身をすぐに回復できる人もいれば、一度不足してしまうとなかなか満たせない人もいます。

 そんな、器をイメージしてください。

 

器の大小と液体の回復力

 器の大きさは大きければいいというわけでもありません。

 もちろん大きければそれだけ液体を貯蓄して誰かに液体を分けてあげることができるのですが、しかしやたらと自尊心を高めて器を大きくしたとしても自らの回復力と見合っていなければ液体は常に不足することになり、苦痛を覚えてしまいます。

 理想としては自らの回復力よりもわずかに小さい器であること、零れ落ちる液体を他者に分配できる程度の器を保有することが望ましいです。他者へ液体を分けるならば自らの必要分を無理に分けるよりも、溢れ落ちる余剰分を施すことが苦痛の総量を減らす持続可能な救済となります。

 また、器の大小よりも液体の回復力のほうが重要だと言えます。回復力が高ければ人に分けてもすぐに元の状態へ戻すことができますし、回復力に合わせて器を大きくすることも容易です。

 まずは自らの器を大きくすることよりも回復力を高めることを優先させたほうが良いでしょう。

 

人に助けてもらうことの考察

 誰かに助けてもらう、それは液体を分けてもらう行為に相当します。

 

 ここで留意すべきは、自らの器を満たしてくれることまでは期待すべきではないことです。

 相手がどれだけの液体を分けられるかは貴方の不足量ではなく相手の余剰量に依存します。貴方の不足と相手の余剰が一致するのであれば満たされることも可能ですが、それは大抵の場合偶然に他なりません。誰だって無い袖は振れないものであり、求めた分だけ分けてもらえなかったとしても仕方がないことです。

 そもそも器から溢れる余剰は貯蓄できないものであり、相手に余剰があるかどうかはタイミング次第です。大抵の人は自身の器を満たすのに精一杯であり、液体に余剰のある人は稀です。分けてくれた液体はもしかしたらその人の必要分かもしれません。それは感謝をして受け取るべきであって、足りないと文句を言うのはお門違いというものです。

 

 また、助けを求めるなら早い方がいいとも言えます。

 不足量が多ければ多いほど分けてもらう液体量も多くなります。誰しもそこまで余剰を抱えていないのですから、たとえ分けてもらったとしても充足には満たない可能性が高まります。

 液体の量はお金に似たところがあります。利息のように多いところへ集まる習性を持っており、少ない状態から増やすのは難しいものです。そのため少しの不足が生じた場合でもすぐに分けてもらい、逆に少し余剰が生じたら人に分け与える、それぞれが過度な不足に陥らないよう時々で融通し合える状態が最も理想的です。

 

 さらには、助けを求める時は複数人に求めることが望ましいと言えるでしょう。

 人に助けを請うのは得手不得手があり、また人にはプライドがある以上、多数に助けを請うことは避けたいと思うかもしれません。

 しかし誰もが貴方の不足を充足するだけの余剰を保有しているとは限らない以上、その時に不足している必要分を集めるのであれば、その時に余剰を持っている人を探して分けてもらわなければならないのですから、1人にもたれ掛かるよりは手を挙げて周囲の人々に協力を申し出るほうが確実です。

 他人の必要分を搾取してまで自らの不足を満たそうとしては、相手にも限界が訪れますし持続的な人間関係を構築することは叶いません。恥ずかしがらず、大きな声で不足を叫び、そして人の叫びが聞こえたならば自身の余剰分を持って分け与える、そういった共助の姿勢が良いでしょう。