忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

冷蔵庫と私(その2)

 いよいよゴールデンウィークに気紛れで始めた日記強化週間が終わります。5月7日からは仕事もブログも通常営業です。

 気紛れというよりも出来心、もはや酔狂ではありましたが、フリーで気楽な文章を書き綴るのも悪くはない気分でした。

 そんなわけで、最後の日記です。

 

 「最後の日記」って、なんだか意味深に聞こえますね。

 これが「最期の日記」だったら意味深ではなく実際に意味があるのでしょうが、今日はただのゴールデンウィーク最終日というだけです。

 

びっくりするほど楽なくらい、びっくりするほど空っぽ

 引っ越しの荷造りで大変なことのうち、冷蔵庫の処理はそこそこ上位に入るかと思います。

 なにせ移動のために電源を落とさなければならない以上、中身が腐らないよう何らかの対応を施さなければなりません。なるべく量を減らすにも限度があるでしょうし、断熱して中身を運ぶためにクーラーボックスなどが必要になります。

 

 その点、私は完璧です。

 なにせ、元々空っぽなので。

 運ぶべき冷蔵品が何一つ入っていません。ちょうど醤油が切れていたこともあり、冗談抜きでほとんど空っぽでした。廃棄タイミングを見失って延々と冷やし続けられていた割り箸とプラスチックスプーンを捨てただけで、片付けはもう終わりです。

 それはさておき、冷蔵庫である。我が家の冷蔵庫の扉は経年により若干ヒンジがヘタりつつあるものの、まだ辛うじて扉としての機能を保持している。

 その扉を開き、中身を拝見する。

 

 醤油。割り箸。

 以上。

 

 冷蔵庫、うちには不要ではなかろうか。

 

 まあ、冷蔵庫の片づけは慌てる必要は無いんですけどね。なにせ買い替える予定なので引っ越しでは運びません。

 長年使ってきたためいよいよ扉が限界気味で、冷媒が減ってきているのか冷凍能力も少し怪しく、コンプレッサの音もなかなか騒音の域に近づいてきているため、良い機会なので買い替えます。

 引っ越し後しばらくは冷蔵庫が無い生活を過ごすことになりそうですが、元々大して使っていないのでそこまで不便はなさそうです。

 

自炊は一応、出来ないわけではない

 自炊が出来ないわけではないのですが、どうにも気が乗らないです。

 大学時代:貧乏だったので自炊多め。凝った料理はせず安く仕立てることが目的。

 独身寮時代:共用キッチンがバカみたいに汚かったので自炊は一切せず。

 現住居時代:帰宅時間が遅いため自炊をするにしても休日のみ。食料が駄目にならないよう必要分のみを都度購入。よって冷蔵庫はいつも空っぽ。

 

 本当は一度にたくさん作って作り置きをすればいいのでしょうが、その辺はこだわりというか、軽めの心理的ストレスを避けたいというか、そんな感じであまり好みではないのでやっていません。

 作り置きの料理を食べることにはなんだかストレスを感じます。

 軽めの自己分析をすると、母が料理を趣味とする専業主婦だったので子どもの頃は家に帰ればいつも温かい出来たての料理を食べていたことから、作り置きの料理を食べる日は病気・通院・近所や親族のトラブルなどめったにない”母が家に居ない日”で、それが子ども心に寂しかった記憶を喚起するためではないか、などと思っています。

 まあ単純に冷めた飯が嫌いなだけかもしれません。

 元秋田県民として「あきたこまち」を愛食しているのですが、個人の感性に基づく個人的な見解として、あきたこまちって冷凍すると一気に味が落ちるような気がします。炊き立ては凄く美味しいのですが。

 

 何はともあれあまり作り置きは好みではないので、自炊は時間に余裕がある時に食べる分だけ作っています。冷蔵庫は、まあ、あまり活用できていません。

 

結言

 書き忘れていましたが、もっと単純な理由として料理が下手なので自炊に乗り気じゃないです。なぜ金と時間を掛けてマズイ飯を食わねばならんのじゃ、と思っています。

 4月から異動した部署は残業が少なく在宅勤務も可能な業務内容のため、自炊にチャレンジする機会は増えそうです。練習せねば上手くなるわけなどないのがこの世の道理である以上、引っ越しが落ち着いたら料理の腕を上達させるべく自炊機会を増やしていきたいと思います。

 それまでは冷蔵庫よ、さらば。