忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

水と油を混ぜ合わせる仕事

 

 本社に来てから、会議の回数がもの凄く増えました。

 繰り返します。

 本社に来てから、会議の回数がもの凄く増えました。

 

 会議は嫌いです。

 

水と油

 個人的に会議は価値を生み出さない、会議をしている間は仕事が進まないと思っているため、可能な限り圧縮・削減したいと考えています。

 とはいえメーカーの本社は司令塔であり、実際に実務を行う現場部署とは違い仕事を依頼する側になりますので、各所へお伺いを立てるために形式的な会議が増えるのは止むを得ません。

 規模の小さい集団であればいちいち会議などしなくても立ち話程度で物事を動かすことができますが、規模が大きくなり人間同士の物理的な距離が遠くなれば必然的に阿吽の呼吸を期待できなくなりますし、さらに規模が大きい場合はセクショナリズムが生じて仕事を依頼する際の阻害となるのも自然なことです。

 よって物事をスムーズに進めるためには会議の形式が必要になることもあります。

 

 人間の特性は、大雑把に水と油で分けることができます。

 水のタイプの人間は、合理性と論理を重視するさらっとした考え方を持っています。感情よりも理屈と正しさを信奉し、人情や仁義をあまり重視しません。変化や変革を好み、新しいことへ挑戦する気質を持っています。

 油のタイプの人間は、人情や仁義を重視するべたっとした考え方を持っています。理屈よりも筋と人間関係を優先し、合理性や論理はさほど重視しません。変化や変革はあまり好まず、どちらかと言えば現状維持を求めます。

 誤解を恐れずに言えば、水は都会的で、油は田舎的だと言えるでしょう。あるいはエリートを水、対して現場の叩き上げが油だと言えます。

 

 水と油のどちらが良い悪い、ということはありませんどちらも組織にとって必要な両輪です

 メーカーを例にすれば、意思決定層には水の人間が必要不可欠です。ベタベタしたしがらみに囚われて非合理的で理屈に沿わない経営判断が下すようであれば市場競争を生き抜くことはできません。

 しかし全員が水の人間の組織では、いざという時に踏ん張りが効かなくなります。水を入れた器が壊れたらあっという間に流れ去ってしまうようにです。厳しい状況でも立ち向かうためには密な人間関係が生み出す粘性が不可欠であり、そのためにも現場の油を軽んじるべきではありません。

 身近な例として、”誰かが急に休んでしまった”現場において、「そんなことは僕の労働契約とは関係ない」と考える水の人間だけでは現場が崩壊しますが、「仕方がねえ、今回は俺があいつの代わりにやってやる」とする油の人間がいれば現場は持ち堪えることができます。

 

 水と油は混ざり合わないように、水からすれば油は非合理的で変化を嫌う人間だと思えますし、油からすれば水は人情に欠けた希薄な人間だと思うものです。

 しかしそのどちらが良いとか偉いとかを乗り越えて、組織にはその両方を存在させる必要があります。物事には定常時と非常時があり、そのどちらにも対処できるよう水と油を抱えることで初めて安定的な組織が存在できるのですから。

 

組織の乳化剤

 組織には水と油の双方が必要ですが、そのままでは反発し合い組織が分断してしまいます。

 よって組織には乳化剤が必要です。

 乳化剤とは本来混ざり合わないもの同士を混ぜ合わせる作用を持った物質です。混ぜ合わせることを乳化、混ざり合ったものをエマルションと呼びます。クリームやマヨネーズをイメージすると分かりやすいかと思います。

 

 本社や管理部署で働く人間の仕事は乳化剤となることです。経営陣の水と現場の油を混ぜ合わせて一つのエマルションにして、物事をスムーズに進めることが仕事となります。

 会議はこの乳化処理の一種です。経営陣の合理性を現場が受け入れられるように噛み砕き、現場の言い分を経営陣が理解できるように整える、そうした処理のためにも面を突き合わせて話をする会議が否応なしに必要です。

 それは傍から見れば形式めいたものではありますが、水と油を混ぜ合わせて協業するために避けては通れない通過儀礼だと言えます。

 

結言

 会議は嫌いです。

 しかし、嫌いだからといってやらないわけにはいきません。

 適切に乳化されず現場と経営陣が分離してしまった組織の末路は皆同じであり、そうならないよう水と油を混ぜ合わせることが必要なのですから。