忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「悪を倒す」よりも「人を救う」ヒーローが好き

 頭の中で音楽が強制的に反復されることがあるかと思います。これはイヤーワーム現象やディラン効果と呼ばれる事象です。

 不快感の度合いは人によりますが、私は特に不快は感じません。むしろそこそこに楽しんでいます。元気の出る音楽であればなお良しです。

 

 ここ数日、頭の中で流れているのは「救急戦隊ゴーゴーファイブ」です。

 

 ・・・いや、まあ、世代的には合っていますし、テンションが上がるので大好きですけども、なぜ?

 

頭と心は別

 この駄ブログでは精神論や根性論、共感や感情をどちらかと言えば否定的に述べる記事をいくつも書いてきていますし、実際に知人にも同様のことを口にしていますので、私のことを知っている人は熱血よりも冷静な思考、戦隊モノで言えばレッドよりもブルーを好んでいると思われているかもしれません。

 

 しかしながら、私は熱血や勢いをむしろ好んでいます。頭は冷静にありたいですが、心は熱い人間でありたいです。

 熱血や勇気、気合や熱い心、そういったものは実に素晴らしいものです。人間、最後は根性であり、心こそが最後の壁を乗り越える力になります。

 ただ、心だけに頼り切っていてはすぐに疲れ果ててしまいます。凄まじい力を発揮できるからこそ、必要な時に発揮できるよう効率的に用いるべきであり資源は有効活用すべきだ、と私は考えます。

 結局最後に差が出るのは精神論・根性論であることは事実です。同じような能力を持った人間で差が出るとしたらその物事をどれだけ続けられたかであり、それは根性以外の何物でもありません。そこは否定しようがない事実ですし、だからこそ根性論は否定できません。ただ言っているように”最後は”根性であり”最初に”根性を持ち出してはいけないというだけの話です。向かうべき方向を定めて具体的に計画する段階での根性は邪魔なだけです。

 

 また、心は周囲の人にも影響を与えます。それがポジティブフィードバックとして周囲に好影響を与える場合はいいですが、時には空回りして人々を巻き添えに集団を焼き尽くす人も出ます。何事も根性論で乗り切ろうとする体育会系の社長あたりが典型例でしょう。

 だからこそ心は最後の手段として胸に秘めておき、常は頭で処理する、合理的な戦略に基づいて冷静にポジションを取り最後のストレートで一気に抜き去る差し馬のようでありたいものです。

 

個人的な理想像の条件

 話は戻って、救急戦隊ゴーゴーファイブです。なぜ戻すかと言えば、語りたいからです。

 とはいえ放送当時は小学生でしたので、物語は語るほど覚えていません。ただ、オープニング曲だけは何故か今でも歌える程度に覚えています。音楽の力とは凄いものですね。

 オープニング曲はとにかく熱いです。ヒーローソングの定番である「正義」「平和」「悪を倒す」ではなく、救急戦隊の名が示す通り「人を救う」ことが熱く語られています。

 これは私にとって幼少期からの理想のヒーローであるアンパンマンに近いものを感じます。

 唐突ですが私は子供の頃からアンパンマンが大好きで、未だにアンパンマンのマーチが頭をよぎることがあります。さすがにいい歳をして大きな声で語るのは恥ずかしいので人には語りませんが、今でも理想のヒーロー像はアンパンマンです。彼の神髄はばいきんまんを倒すことなんかではなく、自らが弱体化してでも無辜の他人の空腹を満たす無償の愛と自己犠牲だと信じています。

 

 正義とは不公正を正す行いであり、ヒーロー(英雄)とは悪を打ち倒す存在です。これらは必ずしも重なる存在ではなく、「正義のヒーロー」以外に「ダークヒーロー」のような存在も有り得ます。

 アンパンマンしかり、救急戦隊ゴーゴーファイブしかり、どちらも正義を為し悪を打ち倒す「正義のヒーロー」です。

 私はなぜこれらを特に好んでいるかと言えば、彼らが「ヒーロー」の要素よりも「正義」の要素が強いからです。悪を打ち倒すよりも誰かのために行動する人を私は賞賛しており、自らもそうありたいと思っています。

 だから救急戦隊ゴーゴーファイブの曲が頭を流れていても、いえ、いるからこそ私は元気です。

 ただ、ちょっと疲れてはいるかもしれません。

 

 

余談

 もっと言えば、自身に根性論を適用することは平気でやりますが、他者に根性を強要するのは好みではない、そんな感じです。