忘れん坊の外部記憶域

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技術者の早期育成には限度がある:作業者が欲しいのか、技術者が欲しいのか

 昨今は様々な業界で人手不足が叫ばれていますが、弊社も例に洩れず日本の人口動態影響を受けて人手が足りていません。特に専門職の確保には苦戦しています。

 そんな中、上層部が技術職に対して度々発令するのが『技術者の早期育成』とした方針です。若者を重点的に教育して早期戦力化するための方策をあれこれとするよう命令が下ってきます。

 「その若者を確保できていないから困っているんじゃないか、いいからまずは人を雇ってこいよ」と言いたい気持ちはありますが、というか直言していますが、まあ無い袖は振れませんので仕方がありませんし、既存人員を育成して戦力アップを図ろうとする方向自体は悪いことでもありません。

 良く言えば少数精鋭です。便利な言葉ですね。

 

 ただ、気持ちは分かりますが、技術者は促成栽培できる類のものではないと思っているため、あまり乗り気ではありません。

 

技術者の段階

 技術者と一口に言っても、指示を受けて手を動かせる人、フォローを受けて実務をこなせる人、一部であれば自律的に対応できる人、一人でどのような事態にも対処できる人、卓越した技術をもって後進を育成できる人、などなどそのレベルは様々です。

 とはいえ技術者の頭数としては"指示を受けて手を動かせる人"から数えられます。さすがに技術的な基礎を学んでいる段階の初学者はまだ技術者とは呼べませんが、簡単な作業でも手を動かしてこなせるようになれば数字上は戦力に数えられますので、そのような状態へ若者を素早く引き上げることが「早期戦力化」には含意されています。

 

 ただ、その段階は終着点ではなく、むしろ入口に過ぎません。作業ができるようになっただけに過ぎず、まだ技術的な仕事ができる段階ではないためです。

 もちろん作業ができるようになることは必要ですが、技術者に必要なのは技術を行使して問題を解決する能力であり、手足を動かすことではなく頭を使うこと、すなわち作業ではなく仕事をすることです。

 作業ができるようになることは頭が使えるようになるための付随的な現象に過ぎず、その点を考慮せずに作業ができるようになることを目的にして早期に辿り着こうとすると望ましくないことが生じます。

 

ノウハウとノウホワイ

 作業をできるようにすることは簡単です。ノウハウ(know-how)を教えればいいだけだからです。定型化されたやり方を学ぶことは簡単であり、技術的なバックグラウンドを保有していなくてもデータの処理はできますし力学的な原理を知らなくても公式と変数を用いて計算はできます。

 ただ、作業ができる状態を目指して促成栽培を行うとノウハウの教育に終始することになり、ノウホワイ(know-why)の教育がおろそかになります。

 ノウハウが「どうやってやるか」の束であるのに対してノウホワイは「なぜそうやるか」の束です。どのような技術的バックグラウンドによってノウハウが定型化されたか、原理原則はどうなっているか、バッドプラクティスやバッドノウハウはどのようなものがあるか、そういった”ノウハウを作るための基となった部分”がノウホワイとなります。

 ノウホワイの教育には時間が掛かります。ノウハウのように定型化することは難しく、情報量は膨大であり、経験と知識を積み上げていかなければノウホワイを学ぶことはできません。

 時間を掛けてノウホワイを学んだ後に改めてノウハウを学ぶことでノウハウの背景情報を関連付けて理解することができ、手足を動かすだけでなく頭を使って行動する人材が育ちます。逆にノウホワイを適切に教育されずノウハウだけを詰め込まれた人は自ら頭を使って問題解決をできるような人材には育ちません。

 

結言

 ノウハウで育成できる人材は作業者です。

 しかし技術職の戦力として必要なのはノウホワイを理解して自らノウハウを構築できる技術者であり、それは早期育成の方針で育むことはできません。

 必要なのは作業者ではなく技術者です。

 そのため、ノウハウだけを詰め込むような早期育成方針にはあまり賛同できないと考えています。