忘れん坊の外部記憶域

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OJTとホワイトカラーの相性:OJTは万能ではない

 OJT(On-the-Job Training:職場内教育、現任教育)に関しては色々と思うところも言いたいこともあるため、当ブログでは度々取り上げてきています。

 

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OJTは現代の日本には適していないのではないか

 

 研修をすべき教育部署が職務を放棄して現場に丸投げするような、そんなOJTの名に値しないものはもちろん論外ではありますが、そもそも論としてOJTはホワイトカラーに適用していいものなのかすら疑問に思っています

 

元々はブルーカラーのためのもの

 歴史を振り返ると、OJTは第一次世界大戦期のアメリカで造船所作業員が不足したために補充要員の緊急訓練プログラムとして教育学者が開発した4段階職業指導法(やって見せて、説明して、やらせてみて、フォローアップする)が元となっています。

 この指導法自体は特別に革新的なものではなく、例えば江戸時代の大名である上杉鷹山が遺した言葉「してみせて 言って聞かせて させてみる」があるように、何かしらの作業を教える場合にはまず目で見せて、次に言葉で説明をして、その後で実際にやらせてみることが効果的であることは論を俟ちません。

 

 しかしながら、これは目で見て説明を聞けば分かる作業、たとえば機械の操作方法であったり接客のやり方であったりと何かしら”型”がある仕事を継承するには有効な方法ですが、逆に言えば目で見ても分からず説明を聞いても分からないような行動のやり方を伝達するには適していないと考えます。

 それは例えば一部ホワイトカラーの頭脳労働などです。

 

頭脳労働をどうやってOJTで教えるのだ?

 ホワイトカラーと一口に言っても多種多様な仕事があるため一概には言えませんが、一部のホワイトカラーはルーチンでこなす定型業務ではなく頭脳労働、その時々で内容が変わり”型”の存在しない不定形業務を取り扱います。

 そのような業務の場合、必ずしも実務を通じてやり方が身に付くわけではありません。

 例えば機械設計の実務を後ろから見ていれば何をやっているか理解できるかと言えば、当然ながら前提知識やバックグラウンドとして物理や数学の知識が無ければ分からないでしょう。

設計が”できる”のレベル感:機械設計者に求めたい技能

 他にも金融トレーダーの売買を後ろから見ていれば同じように売買ができるようになるわけではありませんし、医者の診断を横から見ていても医学的知見が無ければ何故そのような診断をするのか正確に理解することはできません。

 そのような類の仕事をOJTで教えようとするのは、正直に言ってある程度の限界があるのではないかと私は思います。

 

結言

 不定形業務である頭脳労働は、知識を実務で身に付けるのではなくすでに持っている知識を実務的に応用することが仕事です。それに対してOJTで身に付けることができるのは定型業務のみです。

 よってホワイトカラーの仕事のうち、作業的な部分だけはOJTで教えることができますが、それ以上をOJTで教えることはあまり現実的ではないと言えます。

 これはブルーカラーとホワイトカラーのどちらがどうだという話ではなく、やっていることが違うのだから同じ教育方法を使うことはできないのではないかという話です。

 OJTは決して万能の教育ツールではなく、適した部分以外で使おうとしても上手く機能することはないと考えます。

 

 

余談

 「実務に必要な知識はOJTによって職場で教えるべきだ」として、転属してきた高卒の若い子に分数の掛け算割り算から職場で教えたことがありますが、まさしく『会社は学校ではない』の実例だったと思います。実務で通用するまで育てろと言われても、数年程度では到底無理です。