昨今は毎日のように「AIによって減る仕事」といったニュースが流れてきます。
もちろん日に日に発展しているAIに各種の危機感を持つ人がいることは自然です。産業革命における機械化やパーソナルコンピュータの発展時にも恐らく同様の論調は存在していたでしょう。新技術による社会構造の変革はいつの時代でもラッダイト運動を生じる普遍的な動機足り得ます。
ネガティブ情報を流すのがニュースとはいえ
ただ、このような状況で個人的に見たいニュースがあまり流れてこないことに不満を持っています。
それは「AIによって増える仕事」です。
そのようなニュースがまったく無いわけではありませんが、少なくともトップニュースとして上がってくることはほとんどなく、探しに行かなければ情報を見つけることができません。
新しい技術は現在の仕事を無くすと同時に新しい仕事を生み出すことにもつながります。それは例えば300年前に旋盤工がいなかったように、100年前にプログラマーがいなかったようにです。
選別的に情報を取得するようなやり方は望ましくはないものの、失業を煽るようなニュースよりは新たな技術による社会展望とそこでの新たな働き方・生き方など前向きな視点でのニュースを個人的には見たいものです。
もちろん報道は慈善事業ではなく商売であり、概ねですがニュースとは悪い情報を伝えるものなので仕方がないことです。
生物は好き嫌いに関わらず良い事象よりも悪い事象に注意をひかれる性質があります。良い狩場の情報よりも天敵の存在に関する情報を優先するのは本能的なものです。死んでしまってはどれだけ好物があっても食べられませんので。
人間も同様に、利得となるポジティブニュースよりも危険を感じるネガティブニュースにより関心が向く性質を持っているため、多くの視聴数・PV数・読者数を稼ぐためにはネガティブニュースを優先して報道することが商売上正しい戦略です。
スキルセットの捉え直し
そんなわけでAIによるネガティブニュースが溢れている世の中ではありますが、個人的にはそこまでAIを恐れていません。
私の仕事である機械設計もいずれはコンピュータに取って変わられる仕事でしょうが、デザイン面での分野はしばらくまだ人間優位でしょうし、いずれにしても”出力の良し悪しを判断するのは人間”の時代はまだ続くと思われます。多数の条件を組み合わせて無数の出力を実施することにかけては人間よりもコンピュータが遥かに優れていますので設計案や設計計算は自動化されていくものの、そのうちのどれを選ぶかは技術を持った専門職が必要になることでしょう。
よって技術に自信のある技術屋からすれば、AIの発展は仕事を奪う脅威ではなく、業務改善の道具とした視点で見ていると思われます。
そして何よりも、技術によって環境が変化するのであれば、その変化に合わせてこちらも変わっていけばいいだけの話です。これは個人の保有する技術や技能、スキルセットにちょっとした捉え方の違いを持てば簡単に納得できます。
例えば、私の能力は「流体力学」や「熱力学」「材料力学」など機械工学に関する技術、ではなく、それら学問的知見を習得し行使することができる学習力です。私が現在保有している技術は”現在保有している以外の意味”を持ちません。新しい技術が生まれるならばそれを学習して使えばいいだけです。能力をそう捉え直すと、変化を恐れる必要は無くなります。
変化に追従できない生物は自然の基本ルールとして淘汰されます。それは人間社会も同様です。売価は市場に応じて変化するのが自然であり、常に同じ商品を同じ価格で販売しようとする商人は必然的に破綻します。必要と状況に応じて変化することは必須です。
そのためには状況を観察して自らを変革する学習力こそが生物に最も必要な能力ではないかと考えます。
確かに今の時点で持っている技術は今の時点で価値がありますが、その価値が将来的に不変なはずはありません。それを理解した上で、常に学習を継続して新たな商品を仕入れようとしている人は「AIによって減る仕事」といった情報に不安を覚えることはないでしょう。
結言
価値とは変動するものであり、将来どう変動するかは不確定なものです。そして人は不確定で曖昧なものを危険と認識するため、恐怖と危機感を覚えます。
つまるところ、今現在のスキルは将来どうなるか分からないからこそ自信を失い将来を恐れることになります。
だからこそ、自信の根源を今現在のスキルに置くべきではなく、今現在のスキルの価値で将来を考えないことが必要です。そのスキルの価値変動がどうなるかは誰にも予測がつかないのですから、考えるだけ時間の無駄だとすら言えます。
手に入れたものではなく、手に入れる能力こそが不確実な将来への不安を消して自信を保ちます。