忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

仕事の腕を磨かないのはなぜ?

 私はタイピングが速いです。以前に職場の若手・中堅で測定してみたところ、上から二番目でした。

 ちなみに一番は事務方の女性でしたが、ちょっと異次元の速度だったので勝てる自信がありません。努力の壁を感じました。あの域に到達するまでどれだけ訓練を積んだのか想像もできません。

 

 速さの自慢をしたいわけでも煽りたいわけでもなく率直な疑問なのですが、タイピングの遅いデスクワーカーは何を考えているのでしょう?

 ・・・うーん、率直な表現過ぎる。

 

腕を磨かないのは何故?

 現代のデスクワーカーにとってコンピュータは不可欠なものであり、そのコンピュータへの入力装置であるキーボードの操作に熟達しているか否かは仕事の速度に影響します。

 そうである以上、タイピング速度を向上させるためにトレーニングを積むことが自然だと思うのですが、遅い人はなぜ遅いままなのでしょう?

 訓練をしても遅いのか、ただ訓練をしていないのか、理由が分かりません。

 

 何もタイピングに限った話ではなく全般的な話として、腕を磨かない人の気持ちを私は今一つ理解できていません

 これは私が殊更真面目というわけではなく、”やるからにはやれるだけやりたい”凝り性なだけです。また、後ろ向きにつまらなく仕事をするよりは前向きに楽しく仕事をするほうが好みだからというだけの話でもあります。

 

 つまり、腕を磨く行為は忠誠心や積極性や責任感のような高尚な意志に基づく尊い行為とは限りません

 私は”私が楽しむため”に腕を磨くことを是としています。

 それは単純な理屈で、人は「やりたいこと」ではなく「やりたいように」やっている状態を楽しいと感じるためです。だから個人的には腕を磨きたいと思っていますが、磨かない人を善悪で判別して断罪するようなつもりはありません。ただ理解ができていないだけです。

 

腕を磨くと面白くなる

 個人的な体験談として、将棋が例示として一番分かりやすいと考えます。

 将棋は面白さを感じるまでのハードルがとても高いゲームです。二人零和有限確定完全情報ゲームであり、運やランダム要素は一切ないことから、駒の動き方を覚えた程度の初心者では絶対に勝てないゲームです。そして勝てないゲームは当然ながら面白くありません。

 将棋の面白さを体感するためには多大な努力を積んで腕を磨く必要があります。様々な定跡を学び、経験を積んで形勢を読めるようになり、損得差の勘定に慣れ、寄せの力を鍛える。そういった鍛錬の末に「やりたいように」将棋を指せるようになると、実に奥深くて面白いゲームであることが理解できるようになります。

 これはまさしく「腕を磨くと面白くなる」典型例です。

 

 実のところ、仕事も同じです。

 仕事の腕を磨かなければ「やりたいように」仕事を回すことができません。

 「やりたいように」仕事ができない状態、人から頼まれた仕事だけをやらざるを得ない状況であったり、自身が先導していない案件に巻き込まれることであったりと、人の都合に振り回される状態を面白いと感じるには多大な才能と努力が必要でしょう。

 そこから脱して「やりたいように」仕事を回して楽しく仕事をするためには腕を磨くことが必要不可欠です。

 

 こんな考えの人間からすると、仕事の腕を磨かない人に対しては「なんでわざわざつまらなく仕事をしているのだろう?」と疑問に思っています。

 もちろんどの程度まで腕を磨けるかには個人差がありますが、少なくとも磨かないよりは磨いたほうが楽しくなるのに、それをしないのは不思議です。

 

 多くの人は生きていく上で長い時間を仕事に費やすことになります。

 しかし当然ながら仕事が人生の全てではありません。

 だからこそ、仕事で人生を阻害されたくない人こそ腕を磨いて仕事をサッと片手間でこなせるようになったほうが楽しいしお得だと思うのですが、なんともはや。

 

結言

 昔のドキュメンタリー作品『ジャッキー・チェン・マイ・スタント』でジャッキー・チェンが言っていた言葉が頭に残っています。

 

「トレーニングは大切だ。弁護士ならスピーチの訓練が欠かせない。秘書ならばタイプの練習。学生なら一生懸命に勉強しなければならない」

「僕らスタントマンには毎日の訓練が大事だ。もし学生なら試験日まで毎日勉強するだろ、AかBを取れるように。僕らも毎日訓練する。誰かがある日突然何かやれと指名される。これが僕らの試験だ」