今回は少し議論が難しいお題である「憲法」について、私見を述べていきます。
具体的には「憲法の解釈」に関してです。
憲法に対する私の考え方
最初に私の憲法に対する考え方を開示します。
まず、その実行力や擁護義務の範囲からして、憲法とは国家をどのように統治するかの根本規範であり、簡素な表現を用いれば各国の規定するハウスルールだと考えています。
もっと砕けた表現で言えば、その国が「どんな国か」「どんな国でありたいか」「そのために政府や国民はどうするか」といった理念と具体像を国家と国民が共有するための文章です。特に日本国憲法の前文はそのような理念を明示する目的を持っていると言えるでしょう。
私たちが隣近所のご家庭のハウスルールを詳しく知らないように、他国の憲法についても知らない人が多いと思います。また、他所様のご家庭のハウスルールに口出しをするのも普通はご法度でしょう。
同様に、憲法についてもどういった規範を定めるかは他国が口を出すことではなく、ハウスルールと同様、そこに所属する人々が議論して決めていくものだと考えます。
また、私は憲法の改正に賛成しています。
その理由は二つあります。
一つは信念や理念を記述した文章を遵守することではなく信念や理念の実現を重視しているためです。
日本国憲法の理念は少し簡潔過ぎる要約をすると「国際協調・国民主権・戦争放棄・平和維持」だと考えます。そして協調や平和は外部要因が存在する相対的なものです。よって私たちが理念を実現するためには内々の論理だけでなく否応なしに外部環境に合わせた調整が必要になります。そしてそのためには憲法の文章を一言一句遵守することを目指すのではなく、憲法の理念を実現するために時勢に応じた文章の調整をすることが必要だと、そう考えています。
つまるところ、目的は主義主張を記述した文章を維持することではなく、主義主張の実現でありたいです。平和主義や協調主義を守るのではなく、現実の平和や協調を守ることこそを優先したいと考えます。
そして憲法改正に賛成する第二の理由が”憲法の解釈"です。
憲法の解釈
これは単純に、時の権力者によって憲法の解釈を行えることが望ましくないと考えているためです。
もちろん三権がそれぞれ憲法を解釈するのは当然のことですが、しかし最終的な憲法に関する権限は国権の最高機関であり立法府である国会が所有すべきだと思っており、行政府である内閣の解釈によって憲法の内容が容易に左右されるのは望ましくない、と個人的には考えています。
もちろん行政権上必要な解釈が発生するのは分かります。
ただ、それならば立法府の承認を得てその解釈内容を憲法に明記したほうが後々の禍根にならないと思います。「当時の内閣はこう言っていたが、今はこう解釈する」という理屈が行政府の権限だけで行える余地があるのは「言った/言ってない」レベルの低次元な論争に陥りかねません。
さらに言えば、解釈しないと読めない文章、解釈する余地のある文章は単純に分かり難いです。もっとはっきりとした文章に変えればいいと思うため、私は憲法改正に賛成しています。
内容を大きく変える必要はありません、ただ改正して読みやすくした方が良いと思っています。
例えば今年話題になった憲法20条の信教の自由についてもそうです。
第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
この文章では『政治上の権力を行使してはならない』のは誰が誰に対してなのか、一見では分かり難いです。
つまり次のような二通りの解釈ができてしまいます。
「宗教団体は国に政治上の権力を行使してはならない」
「国は宗教団体に政治上の権力を行使してはならない」
このうち、現時点での解釈は後者です。宗教団体が国政に関わることを拒絶しているのではなく、政治権力を用いて国が宗教団体を弾圧することを抑止しているのが憲法20条です。
すなわち、政府としては、憲法の定める政教分離の原則は、憲法第二十条第一項前段に規定する信教の自由の保障を実質的なものにするため、国その他の公の機関が、国権行使の場面において、宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨であると解しており、それをこえて、宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。
とはいえ、正直に言えばどちらとでも取れるような条文です。このような文章は良くないでしょう。宗教弾圧の是非を解釈で決められる余地がある、さらに言えば行政府の意向で自由に変更できるという状況は、あまり望ましいものではないと思います。
せめて解釈の結果を正式な文章として確立する立法プロセスを通したほうがまだマシであり、そのためにも国民投票を含めた憲法改正というプロセスが働く仕組みにしておいたほうが良いのではないかと愚考しています。
また、もちろんなんでもかんでも軟性憲法として変えればいいわけでもありませんので、変えるべきでないところは変更し難い硬性憲法にすれば良いと思います。
結言
つまるところ、憲法に関する最終的な権限は立法府が所有し、内閣ではなく国会が適宜必要に応じて変えていくこと、そして解釈余地を減らして分かりやすく一義的な文章へ改正するほうが良いと考えるため、私は憲法改正賛成派です。
とはいえ、単純な二択アンケートで憲法改正の賛成・反対を問われた時にどちらで答えるべきか悩む派でもあります。まず前提として変えること自体には賛成ですが、どう変えるかはまた別の議論ですので。
余談
憲法を読む際に、いちいち過去の国会答弁を調べて政府解釈を追う必要があるのは面倒なのですよ・・・