忘れん坊の外部記憶域

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憲法について議論をする前段階で必要な認識の擦り合わせ

 社会的なテーマの中でも触れ難いものは多々あれど、その中でも憲法は特に語りにくいと感じます。

 とはいえ憲法について誰もが口をつぐんで語れなくなるほうが問題だと思っているため、過去にもいくつかなるべく穏当なつもりで記事を書いてきました。

 

 今回はより根源的な部分、そもそも憲法をどう捉えているか、すなわち価値観の違いについて述べていきます。

 

憲法とは

 憲法(constitution)は多義的な言葉であり、各国によって成立経緯や取り扱い方、そして意味するところが異なります。また学問分野として憲法学が成り立つ程度には憲法を厳密に理解することは難しく、学者によってさまざまな解釈が存在している言葉でもあります。

 よって憲法に対する認識、憲法をどう捉えているかが人によって異なるのは自然なことです。

 

 しかしながら護憲・改憲など憲法に関する論争においてはその点に対してあまり配慮がなく、憲法に対する捉え方の擦り合わせが行われていないように感じます。

 たとえば憲法を正典として捉えて条文の一つたりとも変えるべきではないと考える人もいれば、法の一種と捉えて柔軟に変えていくべきだと主張する人もいるでしょう。

 憲法の改正について議論をするのであればまずはこの点、そもそも憲法をどう捉えているかが人それぞれでズレていることを互いに認識する必要があると私は考えます。

 

正典化への忌避感:相対主義者の言い分

 過去の記事でも述べたように、私は改憲に賛成です。

 もちろんどう変えるかは内容次第で是々非々ですが、少なくとも一文たりとも変えるべきではないとは思わず、必要に応じて変えていけばいいと考えています。

 例えば読みにくい条文や主語が曖昧な文章を現代的な言葉遣いに変えて分かりやすくするような改憲には賛成ですし、新しい人権や権利など当時制定した際には無かった項目を追記するような改憲にも賛成です。反面、憲法理念を変えるような大掛かりな改正は今のところ必要ないかと思っています。

 

 なぜこのような考え方を持っているかについて述べていきます。

 一言で言えば、これは私が相対主義者であるためです。

 相対主義はともすれば冷笑主義や虚無主義などと混同されて皮肉として用いられることがあるためあまり望ましくないレッテルではあるのですが、今回はあえて用います。

 

 あまり好きな言い回しではありませんが、現代はVUCAの時代と言われています。かつては世代交代や技術革新によって変化した人々の価値観も現代では5年や10年程度のスパンで更新されていくように、過去に比べて変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の際立つ時代であり、実際にビジネスや日常生活に限らず価値観や善悪ですら瞬く間に変化していきます。

 また世界のグローバル化が進展した結果、国境を越えて異なる価値観や文化に接する機会が増えており、エスノセントリズム(自民族中心主義)が忌避されるようになってきています。他国には他国の文化や価値観があり、自国の文化や価値観と違ったとしてもそれは善悪で裁定することではないとした考え方です。

 そのような時代背景から、現代社会では相対主義者が増えてきています。特に若年層では多くなっていると言えるでしょう。固い信念を良しとする絶対主義では多様性を求められる現代社会の要求に適合できず、他者の価値観に寛容を示して多様性を維持するためには相対主義者にならざるを得ないのですからこれは必然的な結果だと言えます。私も明確に相対主義者です。

 

 相対主義者は絶対的な正典(カノン)や教義(ドグマ)を好みません。何かしらの絶対視はそれ以外を受容する余地を持てないためです。相対主義者は曲がらないことを強さの証とは捉えず、靭性が低い弱さだと考えます。

 憲法についても同様に、一言一句変えるべきではない絶対的な正典ではなく、相対的に変化の余地をもたせた規範であったほうが良いと考えるのが相対主義者です。

 若年層のほうが憲法改正に賛成している比率が高いのは、このような時代背景や理屈があるものと考えます。

 

フランスの事例に対してどう考えるか

 憲法をどう捉えているかの試金石として次のニュースが役に立つかもしれません。

www.bbc.com

www.bbc.com

 

 一つ目のニュースは、フランスの上院で女性の中絶の権利を憲法に明記することが圧倒的多数で可決されたこと、二つ目は実際に改正案が可決されたことを報じています。

 もともとフランスでは法律の上でも中絶が合法でしたが、より厳しい法制化のために憲法を改正して明記するような動きが進んでいます。この改正案はすでに下院を通っていますので、ほぼ確実に憲法が改正されるでしょう。

 

 中絶の権利自体は人それぞれ意見があることでしょうが、今回はそこではなく、この改正の是非、過去には無かった権利を憲法に明記したことをどう捉えるかです。

 私のような相対主義者はこれを是と捉えます。時代や価値観の変化に合わせて規範を変えることは妥当です。

 もちろんこれを非と捉える人もいるでしょう。一言一句変えるべきではないとする価値観も尊重されるべきものです。

 

結言

 そのどちらが正しいと言いたいわけではなく、善悪や賢愚の差でもなく、ただ価値観の差に過ぎません。

 よってまずはその認識を擦り合わせなければ議論を進められないので互いに理解し合いましょう、といったことを言いたいがため、今回は相対主義者の目線での見解を述べてみた次第です。