忘れん坊の外部記憶域

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国際問題やグローバルに関して語るのであれば宗教や哲学への理解が必要

 日本では、と限定できるほどのデータがあるわけでもありませんが、日本では宗教哲学実学ではない分野として捉えられている傾向があるかと思います。宗教や哲学は実学を好む日本人的気風からすると若干忌避されがちな学問分野です。

 ただ、国際化が進む現代社会において、国際問題やグローバル視点での物事を言及するためには宗教や哲学への理解が必要です。それが無ければエスノセントリズムに染まって誤った判断を下してしまうことになりかねません。

 

エスノセントリズム

 過去の記事でも述べたことがありますが、過度なエスノセントリズムは国際問題やグローバルに関して語る上で大きな阻害要因となります。

 エスノセントリズムとは自民族中心主義や自文化中心主義と訳される言葉です。自分が育ってきたエスニック(民族)や集団の基準を絶対的なものとしてしまい、他の文化・行動・言語・習慣を理解しなかったり下に見てしまうような態度・思想を指します。

 古くは白人による有色人種差別が代表的なものとされますが、今なお世界中でエスノセントリズムは散見されます。

 エスノセントリズムの反対語は文化相対主義であり、極論ですがある種の価値基準を持って別の価値基準を評価することは一種のエスノセントリズムだと言えます。

 日本人から見て海外の風習をおかしなものだと思い、それを否定するのはエスノセントリズムです。反対に、海外がこうなのに日本はこうなっていないからおかしい、とするのもエスノセントリズムです。どちらもある価値基準によって別の価値基準を判定しているのですから。

 つまるところ、「日本すごい」や「日本駄目だ」のどちらもベクトルが異なるだけの同根であり、<日本人の価値基準だけで物事を断定している>エスノセントリズムに他なりません。

 そしてもちろんこのエスノセントリズムが日本人限定で海外に無いというわけでもなく、世界中で不要な上げ下げが盛んに行われています。そういった上下で文化等を比較することは本質的に意味が無いです。

 

 例えば海外とのやり取りでは嘘の被害に遭うことが多くあります。インド人が嘘の情報を教えてきた、韓国人は話す度に言っていることが変わる、インドネシア人が日本を騙して他国に情報を流出させた、そういったものです。ニュースを見る人であれば様々な事例が思い浮かぶことでしょう。

 

 これに対する典型的な反応は2種類あります。

 一つは「彼らは嘘をつく悪い奴らだ」とする反応です。

 しかしこれは必ずしもそうとは言えません。

 日本人からすれば嘘をつくことは不誠実さを示す悪徳ですが、インド人からすればヒンドゥー教の思想により情報の正誤ではなく相手への献身こそが美徳であり、韓国人からすれば儒教朱子学に基づいて過去の発言との整合性は重視されておらず、インドネシア人からすれば他者を騙すことはイスラームの嘘の概念とは合致しないため嘘とは考えません。

 これらは彼らの文化、すなわち宗教や哲学に基づいたものであり、そこに善悪はありません。それを考慮せずに「彼らは嘘をつく悪い奴らだ」と判定することは日本人的価値観を絶対視し過ぎるエスノセントリズムに陥っていると言えます。

 

 もう一つは「彼らはそんな悪い人々ではない」とする反応です。

 穏当に見える意見ですが、これもエスノセントリズムに染まっています。

 日本人の基準からすれば、彼らが嘘をついていることは事実です。それを否定して「彼らも我々と同じ善人だ」と日本人的価値観によって彼らを善と定めることはエスノセントリズムに他なりません。

 

結言

 つまるところ、外国人の仕草や価値観に対してその是非を問うこと、ましてや日本人の基準を持って善悪を判定することは、悪意の有無に関係なく『日本人的価値観』の絶対視、エスノセントリズムが根底にあります。

 もちろん日本人に限らずどの文化においてもエスノセントリズムは生じるものであり、多少は止むを得ません。ただ、それが過剰になり「他者は別の価値基準を持っている」ことを忘れるほどになってしまうのは問題です。

 

 冒頭で述べたように日本では宗教や哲学の学びが忌避されがちなものだと考えられますが、他者の価値観や他国の文化の背景にある宗教や哲学を学んでいないと『日本人的価値観』以外を理解することが難しくなります。人は知らない知識を活用することはできません。国際化が否応なしに進み続ける世界において、宗教や哲学の学びは実学と言っても過言ではないかもしれません。

 

 もちろん完全に学び、同じ思考になる必要はありません。

 ただ、異なる価値観が存在することを認識できる程度の学びは必要でしょう。

 

 

余談

 日本人的価値観を捨てて他国のやり方に習おう、と述べたいわけではありません。私たちは私たちの基準で行動すればよく、追従する必要はないです。

 ただ、相手は相手の価値観を持っており、異なる価値基準が存在することを理解していないと相手を善悪で判定する誤解が生じる危険がある、そういった話です。

 少なくとも価値観の違いは善悪で判定することではありません