そこそこに趣深い会話だったので、昨日の記事の続きを記録してみます。
会話の続き
【私】
「祖霊が戻ってくるとした表現はアジア的でしたね、理解が足りず申し訳ないです。私の親戚にキリスト教徒の人がいるので、その人からもっと学んでおくべきでした」
「日本にはキリスト教徒が少ないためプロテスタントとカトリックの違いはあまり語られていません。死生観に大きな違いがあることを知れて、とても勉強になりました。またメキシコの死者の日についてもカトリックと既存文化の融合であることについて理解が深まりました」
「日本のお盆も同じように、仏教と既存文化(神道)の融合によるものです。仏教はヴェーダの宗教の系譜ですので輪廻転生を信じています。従ってお盆に先祖の霊が帰ってくることは、本来の仏教からすれば正しくありません。これはアニミズムである神道が日本文化に深く根付いていることの証左です」
「神道では祖先の霊は身近に存在するものです。神道は外部からの脅威がほとんどない孤立した島国で発展したため、遠くの楽園を想定する傾向を持ちませんでした。これはネイティブ・アメリカンの考え方と似ているかもしれません。もちろん厳しい環境で育まれたキリスト教を否定的に見る意図はまったくなく、ただ地理的な要因による違いだと理解しています」
「確かに日本は世俗的な国だと見られています。それは社会学者の統計を見ても明らかです。日本人は宗教的信条を公言しません。それは宗教的価値観が言葉で伝達されず、長い時間をかけて文化として根付いたからだと考えます。日本では同じ人種・言語・文化の集団での生活が長く継続されてきたため、布教の必要性が薄れて宗教的価値を言葉で伝える必要が無くなりました」
「このような文化的側面が今なお受け継がれているため、宗教的・精神的な事柄を言語で効果的に説明できる日本人は少数派です。これらは文化に深く埋め込まれて内面化されているため、容易には出てきません。だから外部の文化圏の人々からすれば日本人はとても世俗的に見えるかと思いますが、実際は依然として存在し、文化に影響を与えています」
「私は自身を宗教的な人だとは主張しません。私たちの日常的な行動は宗教的価値観に影響を受けていることが多いですが、礼拝や巡礼のような実践は少ない傾向にあります。献身的に信仰を行動で表現する人と比べれば私は決して熱心ではなく、あくまでこうした概念を言語化することに慣れているだけです」
「ちなみに日本でもハロウィンのイベントは行われていますが、正直に言えば、カトリックの方にはあまりお見せできないです」
【営業マン】
「僕はこういう神学や哲学の話は大好きです、同僚ともよく話をしています」
「ヒンドゥー教、仏教、道教は少し勉強をする機会がありました。神道についてはすっかり忘れていました。道教と神道はある意味関係性があるのでしょうが。。。今になってもっと勉強しなければと思っています」
「神道における”霊の帰還”という考え方は興味深いです。アリストテレスとトマス・アクィナスに傾倒するカトリック教徒として、私は仏教よりも神道に同意する傾向があると思っています。アリストテレスは理性によって魂の存在を知ることができると言い、アクィナスは魂の存在を知るだけでなく理性によって魂が不滅であることを知ることができるとも言っています。神道は同じように魂が自己を保持し、仏教は涅槃に到達するために自己を失うと考えていますが、この考え方で合っていますか?」
「文化的な側面も完全に理解できます。カトリック信者の多くは、実践というよりも文化的な人々です。彼らの実践は非常に表面的で最小限のものです。彼らは貴方のように自分の思想を明確に述べることはできないでしょう」
「貴方は宗教的ではないと言っていますが、答えを聞くにとても詳しいように感じます。貴方は仏教徒ですか?それとも神道ですか?」
【私】
「私も宗教や哲学の話は好きですよ。私は機械工学が専門ではありますが、シリコンバレーで禅が話題になることがあるように、エンジニアの中には物事を論理的に分析することを好む人もいます。神学や哲学を通して世界を見ることは、機械を論理的に理解することに似ていて楽しいものです」
「道教まで勉強されているのは凄いです。日本は仏教・儒教・道教の価値観を取り入れていますので、道教の知識は日本の宗教観の理解に役立つかと思います」
「カトリックが神道のように魂の存在を信じていることは貴方に教わった天国の話から理解していましたが、その考えを明確にしたのがアクィナスだとは知りませんでした。私は技術史を学ぶことが好きなので、アクィナスが神学とアリストテレス哲学の懸け橋となり西洋科学の発展に寄与した重要人物であることは知っていましたが、私はもっとアクィナスの神学的業績について学ぶ必要がありそうです」
「厳密に言えば、仏教でも神道でも自己は保持されます」
「仏教ではヒンドゥー教と同様に輪廻転生が信じられており、前後の我(アートマン)は同じだと考えられています。人は来世でより良い存在に生まれ変わることを願い、善いカルマを積むために徳の高い行動を取ります。これは自己に一貫性があり、カルマが来世に持ち越されると考えるからです。しかし仏教では最終的にこの自己を手放して輪廻のサイクルから抜け出すことが目的なので、あなたの涅槃に対する理解は極めて正確です」
「神道は説明が難しいですが、死後、人は神々の一員になります。神道は多神教のアニミズムであり、”神”はキリスト教の”God”とは異なり”現象そのもの”を表していると言えます。ギリシャ神話ではゼウスが気象の擬人化であるように、神道でも現象が”神”となります。亡くなった人も現象として神々の仲間入りをするため、ある意味で自己が保持されます。祖霊や神々は私たちを近くで見守ってくれているため、私たちは道徳的に生きることを考えます」
「カトリックも神道も歴史が長いので、実践よりも文化に変化していくのは必然かもしれません。カトリックと同様、日本人も自分たちの文化や行動がどのような信念に基づいているかを明確に説明できる人はそう多くないでしょう。理性の光で世界を照らすことは時代や地域に関係なく常に難しいのだと、私はそう考えています」
「細かいことを言えば、私は独学で学んだ中観派の考え方を日本仏教と神道に取り入れた思想です。専門は工学であり、倫理の専門教育は受けていません。だから私よりも詳しい人は他にいくらでもいます」
結言
真摯なカトリックが東アジアの文化宗教に理解を示そうと努力してくれる姿を見ると、価値観の相互理解は双方の努力次第なのだと実感できますね。
このコミュニケーションで私が考えることは次のようなものです。
■異なる分野の専門家ともコミュニケートできる程度の語彙は必須(会話相手の専門分野は神学・倫理)、難しい言葉をたくさん知っているかどうかではなく、相手の言い分を理解しこちらの言い分を表現するだけの語彙があればいい
■語学力は有るに越したことはないが、より重要なのは語る中身を持っているかどうか
■相手の文化を理解して受容する姿勢は双方に必要、相手の文化を理解するためにも比較対象として自らの文化を理解している必要がある、差異を理解できないと自分の文化を絶対視するエスノセントリズムに陥る
■リスペクトとは相手を深く理解することに他ならない、理解の伴わない"憧憬"ではなく、深い理解が必要な"尊敬"が求められる
今回は海外の異なる宗教の方が相手の事例ですが、汎用的に考えれば同文化圏内の異なる意見を持つ人に対する時も同じです。「相手がなぜそう考えるのか」だけではなく「自分はなぜそう考えるのか」を適切に言語化しなければ相手には伝わりません。
物差しとして自らを理解し、しかしその物差しを絶対視しない柔軟な姿勢を持つことは、建設的なコミュニケーションを構築する上で最も大切なことです。