忘れん坊の外部記憶域

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権威主義国家の動機を推論しても意味が無い

 中国の経済に怪しい噂が増えつつある昨今、台湾有事や中国国内の経済問題を代表として、首脳部の考えや意向を推論するようなニュース記事が増えてきていると感じます。「このように考えているだろう」「こう思っているはずだ」そういった類のものです。

 

 個人的に、これらの推論はあまり意味があるものとは思えません。少なくとも権威主義国家に対してそのような推論を行うことは、場合によっては政策や判断のミスを招きかねないとすら考えています。無益ではなく、下手をすれば有害です。

 

意思決定システムの違い

 民主主義とは何か。

 それは様々な学説や定義が存在しているため一概に述べられるものではありませんが、基本的には人々が権利を持つ思想・システムを指します。それぞれが権利を持っていることはつまり個々の権利の衝突が生じることを意味しており、その衝突を緩和するために話し合いによって全体の意思決定を行うのが民主主義であり、それが政治です。

 必然、絶対的権力者の鶴の一声が存在しないことから、民主主義のシステム下にある集団の意思決定速度は緩慢なものとなります。話し合いによる意思決定とはとても迂遠なものです。

 それでも個々の権利を主張し合い話し合って政治を行うことが全体として個々の望む状況を実現できる、少なくとも実現できる可能性がある点が民主主義の利点だと言えます。

 

 対して非民主主義の思想・システムを権威主義と言います。

 代表例としては少数の権力者による独裁や身分的支配者による専制が挙げられます。

 権威主義国家における意思決定速度は民主主義国家と異なり、極めて迅速です。権威主義国家では人々が権利を持っていないため、その意思決定が誰かの不利益になるか、その意思決定が将来に与える影響はどうなるか、人々はそういったアセスメントに参加することすらできず、少数の支配者によって独善的な意思決定が為されます。

 その意思決定速度を魅力的だと感じて民主主義を否定する人も一部にはいるかもしれませんが、人々はその意思決定に参加すらできないことは留意しておくべきかと個人的には思います。

 

 民主主義国家に住む私たちは国家の意思決定を迂遠で緩慢な鈍いものだと肌感覚で覚えてしまっています。何かしらの意思決定を行うためには、各種データや意見を収集し、検討し、案を作成し、審議してから実行されます。その流れで多数の人々が参画することから、個人の心変わりが生じたとしても濁流の中に消え去るのみです。

 しかしながら、前述したように権威主義国家はその肌感覚とはまったく乖離した意思決定速度を持っています。そのため、朝令暮改は当然に生じますし、個人の心変わりによって意思決定内容が変化することも自然と生じます。

 つまり、権威主義国家に対する動機の推察、「このように考えているだろう」「こう思っているはずだ」とした推論の有効期限はとても短いものです。

 早ければ翌日にはもう使えなくなっているかもしれません。

 

認知バイアスの恐れ

 さらに言えば、人間の考えは状況や環境によって容易に変わります。人は現状維持バイアスがある以上そう簡単に意見を変えないだろうと推察することは、逆に恒常性バイアスに陥っているとすら言えるでしょう。

 権力闘争の本質、とまでは言い過ぎですが、権力闘争の基本は自らが勝ることではなく政敵を蹴落とすことです。最後まで立っている人が勝者であり、信念を貫いて勝つことではなく、泥に塗れてでも負けずに生き残り続けることが重要となります。

 そして権威主義国家で権力を握っている人々は民主主義国家の権力闘争とは比にならないほどに凄惨な権力闘争を勝ち抜いてその地位に立っている以上、現状維持バイアス程度に惑わされることはありません。

 必要であれば政敵とも手を取り、必要であれば手のひらを反す、意見を翻すことはむしろ当然すべき普通のことであり、そういった権謀術数を駆使できるからこそ権威主義社会での権力者となれます。

 

 そのような人々の動機なんて、推察するだけ無駄であるどころか、誤認のもとです。

 

結言

 私たち民主主義の意思決定速度は遅いのですから、曖昧で変化しやすい権威主義国家の動機や意思に基づいて意思決定を行うことはやるべきではありません。それは必然的に実際とのズレを生み、政策や判断のミスを招きます。

 私たち民主主義国家は権威主義国家の意思ではなく能力に備える必要があります。彼らがやろうと思っているかどうかに関わらず、やる能力があるかどうかです。やる能力があるのであれば、「やらない」と言っていても関係ありません。それは明日には「やっぱりやる」と変わるかもしれないのですから。それが可能な意思決定システムが権威主義である以上、備えるのは必要なことです。