忘れん坊の外部記憶域

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抽選民主主義を実現するための課題抽出

 ここ最近、くじ引き民主主義抽選民主主義という言葉を何度か見掛けました。代表例として朝日新聞デジタルの記事リンクを貼っておきます。

参院議員はくじ引きで 「多様性ある国会への切り札」政治学者の提案 [参院選2022]:朝日新聞デジタル

 制度化されているわけではないので具体的なやり方は定まっていませんが、大枠で言えば「抽選によって無作為抽出された市民が数年間議員を務める」というのが骨子です。

 

抽選制の利点

 理屈自体は特に新しいものではなく、抽選は昔からある方式の一つです。現代においても自治体や地方政治、一部では国政の意思決定においても用いられることがあります。抽選は民主主義の根幹である権利の平等性、少しひねた表現で言えば平等感を担保するものであり、選挙制と比しても代表者や決定の正当性に疑義は出ないでしょう。

 「お任せ民主主義」「政治無関心」「政治なんて誰がやっても同じ」「二院制機能してないじゃん」というような世間の風を入れ替えるには一定の範囲で抽選民主主義の導入を検討する価値はあると考えます。

 

抽選制の課題

 ただ、まあ、冒頭の朝日新聞デジタルにあるような「参院を抽選に置き換えて市民院にしよう」というレベルの意見は少し極論であると感じます。国政で議論されるものには高度な専門性が不可欠なものが多々あり、それはさすがに専門家やテクノクラートの見解を大いに参考とすべきです。それこそ裁判員制度を参考に、「基本は専門家によって行う」「万人に関わる課題については抽選された市民に決定権を付託する」というような住み分けが適切かと思います。参院を丸ごと抽選にするというのは裁判官を丸ごと抽選にするのと同じくらいの過激さであり、それはさすがに専門性が損なわれ過ぎるでしょう。

 抽選民主主義自体には比較的前向きな気持ちですので、それをもし社会に実装した場合に課題となり得るものを思い付くまま列挙してみます。技術屋の職業病として、新しいものが市場で問題を起こさないかどうか思い付く限りの問題点を事前に想定したいのです。ああ、リスクアセスメントをせねば・・・FMEAを作らねば・・・FT図とシナリオを描かねば・・・(職業病)

 

■公人の課題

 匿名の抽選者による密室の議論を国民の総意とするには国家への全幅の信頼が不可欠であり、それはなかなか難しいと思われます。よって公開性・透明性のためには匿名性が多少なりとも犠牲にされる必要があるでしょう。もちろん抽選には拒否権を持たせるのが当然として、しかし私人がいきなり抽選によって公人として振舞えるかは悩ましいところです。

 必要なのは公人に対する市民の意識改革です。政治家は(現実はともかく)善良かつ公平であることが求められる存在であるべきだという規範意識が人々にあることは否めない以上、少し極論ですが、悪人であっても抽選で選ばれたのであれば意思決定者として認めるという意識改革が不可欠です。選挙制からの脱却には無作為抽出であることが重要で、この人は前科があるから駄目、あの人は思想が過激だから駄目、というように抽選対象を作為的に線引きしてしまっては意味がない以上、抽選された人が既存の理想的政治家像から外れることを認められるよう社会の側に変革が必要です。

 

■経済の課題

 既存の経済システムでは多くの場合、個々人の能力と連続的な実績に評価軸を持っています。そのため抽選者が数年間公人として働くことは個人のキャリアを破壊しかねません。これは女性のキャリアアップが困難になっていることと同根の課題と言えます。よって必要なのは連続性に対するバイアスを評価から排除することだと考えます。

 一時的に前線から離脱して実績を積んでいない分の遅れは止むを得ません。それを補填してしまってはずっと前線で働いている他の人への逆差別になってしまいます。

 ただ現状の評価システムは遅れ=出世コースからの脱落というバイアスが働いている場合が多く、一度たりとも立ち止まれないという問題があります。それを避けて、離脱していて遅れた分は仕方ないとしてさておき今現在の能力において評価する、連続性がある必要は無い、という評価システムに改めなければなりません。これは出産育児でキャリアを積み上げにくい女性への職業差別問題を改善するためにも不可欠な方策かと考えます。

 もちろん連続性のバイアスを排除したとしても、前線を離れる期間があることから能力と実績に差異が出てしまうことは避けようがありません。よって抽選に対する拒否権は不可欠です。

 

■情報の課題

 政治的意思決定を行うには元となる情報が不可欠です。近代国家における行政の情報を管掌しているのは官僚機構であり、政治家は官僚機構やテクノクラートとの連携が必要になります。

 要は参謀・軍師役である官僚機構・テクノクラートが公人の側役として徹底できるかが課題です。下手をすれば抽選者の集団が情報統制や情報操作によって官僚機構の操り人形になりかねません。もちろん現状の制度でも政治家がそのような扱いを受ける懸念はありますが、理屈の上では行政機関を内閣が統轄するという仕組みのため牽制が可能です。これが抽選者の場合ではどの程度抵抗し得るかに疑問符が付きます。


■少数意見の課題

 無作為抽出によって抽選される人の集団は、確率の問題上、多数派の人間が多数になるでしょう

 現在の政党政治が最良だとは決して思いませんが、少なくとも少数派が徒党を組んだり少数派の意見をパッケージして議論の俎上に載せるという機能が政党にはあります。抽選ではこのような政党の機能が発揮されないことから、議論において少数意見が多数派によって抹殺される危険性が高まります。かといって徒党を組むことを認めては既存の政党政治へ逆戻りですので、別の方策が必要です。

 確かに抽選民主主義は古代アテネの時代からある伝統的な方法であり、悪いものではありません。しかしアテネの時代とは少数派に対する人権意識が違う以上、少数意見が抹殺されないような対策を考えなければなりません。

 

結言

 ざっと思い付く限りではこのような課題がありそうです。とはいえ抽選民主主義は面白い試みになると思いますので、まずは参院丸ごとなんて大きなところではなく、地方自治や一部環境問題など小さな範囲で初めて、徐々に課題を抽出して順次解決していくのが良いかと愚考します。