忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

日本が中露の権威主義陣営に寝返った場合の想定

若者「アメリカはもう沈みゆく国です。欧州だって不調です。日本は西側陣営から抜けて、中国やロシア側の陣営に加入したほうがいいんじゃないでしょうか」

私「うーん、またヘヴィな話題を。とりあえず自由主義を愛する私としては権威主義に与するのは好みじゃないかなー。あと、こればかりは美学に属する考えだけど、外様になるのはちょっと。負けそうだから勝てそうなほうに付くよりも、負けないように努力するほうが好みだね」

 

 「日本は自由主義陣営を抜けて中露の権威主義陣営に加わるべきだ」

 このような言説は今回話した若者に限ったものではなく、時々ですがSNSやメディア等でも見かけます。

 まあそれはそれで一つの選択肢としてアリでしょう。負けるよりも勝つほうが”より願望を満たせる”と期待するのは人の常であり、勝ち馬に乗ったほうがどう考えてもお得です。戦争などは分かりやすい事例で、敗北の果ての平和よりは勝利の結果の平和のほうが”より願望を満たせる”と期待できるからこそ、多くの人が勝利を目指して勝てそうな陣営につきます。

 

 ただ、まあ、個人的には日本が権威主義陣営に寝返ったとしても”より願望を満たせる”ことは期待できないと思っているため、どうにも賛同しかねます。

 

前提

 まず前提として、自由主義国家の日本が権威主義陣営に寝返った場合、自由主義を維持することはできません。

 当たり前の話として、そもそも陣営が先にあって国家が分かれたのではなく同じ主義の国家が集まって陣営が分かれたのですから、権威主義陣営に入るのであれば権威主義国家に移行する以外はありません。そうでなければ門前払いです。

 よって今の日本のまま中露の権威主義陣営に加わるといった想定は無意味です。必ず自由主義を捨てる必要があります。

 

 雑な例えですが、ガリ勉君が不良グループに入ったらガリ勉君のままではいられないでしょう。

 

自由の価値

 日本や欧米などの自由主義国家に住んでいるとつい忘れてしまいがちなことですが、自由はとても貴重です

 もちろん私たちの日常でも様々な不自由を感じているとは思いますが、広く世界を見れば私たちにとってはもはや当たり前である「職業選択」「婚姻・出産」「居住」などの自由すら無い国はざらにあります。

 それこそ隣国の例で言えば、中国には居住移転の自由がありませんので住みたいところに住むことすらできません。私たちは不満を持った時にSNSで声を上げたり実際にデモや抗議を行うことができますが、ロシアでそれをやると怖いおじさんがやってきます。

 

 国際NGO団体のFreedomHouseが評価する「国家の自由」では、日本が96/100点、中国が9/100点、ロシアが13/100点です。そして恐ろしいことに中露よりも点の低い国や地域は両手の指の本数以上あります。資産が無いから逮捕される、資産を持っているから殺される、家から出たら民兵に撃たれる、眼鏡を掛けているから殺される、そういった心配をしなくていい自由は、とてもとても貴重です。

 権威主義国家の抑圧は自由に親しんだ私たちからすれば耐え難いものです。抑圧に慣れた昔の人ですら耐えかねたからこそ戦って自由を勝ち取ってきたわけで、この時計の針を戻すようなことはどう考えても幸福には繋がらないと考えます。それは国安法が施行されて以降人材の海外流出が止まらない香港の事例一つを見ても分かることでしょう。

 

戦争のリスク

 自由主義国家は基本的に議会が物事を決定します。

 対して権威主義国家は支配者が物事を決定します。

 もちろん自由主義国家にも権力がある程度集中した大統領や総理大臣のような人はいますが、たとえ大統領が「明日から戦争を始めよう」と言っても通りません。それには議会の承認が必須です。

 しかし権威主義国家は権力が集中した人物の一存で戦争にすら至ります。プーチンや金正恩がやると言えば、戦争すら本当に始まってしまうのが権威主義の恐ろしいところです。

 

 つまり、自由主義陣営の国家には戦争を自ら引き起こすリスクを低下させるためのストッパーが存在しています。それが適切に機能するかは国民次第ではありますが、少なくとも戦争を好まない私としてはその機能を捨て去るような方向に国家が進むことはあまり好みではありません。

 

アメリカとの敵対

 日本が中露の権威主義陣営に付くとなれば、少なくとも自由主義陣営の国とは疎遠になります。疎遠になる程度であればまだマシで、アメリカが敵になることすら覚悟する必要があると考えます。

 これは地理と海運の視点で見ればとても単純な話です。

 アメリカが太平洋の支配権をグリップできているのは日本とカナダとフィリピンとオーストラリアが同じ陣営であるためです。太平洋戦争(Pacific War)はまさしく日米が”太平洋(Pacific ocean)”の支配権を奪い合った戦争であり、太平洋を囲む国々を軍事的な勢力圏に収めたからこそ太平洋はアメリカの庭となりました。

 日本が自由主義陣営から去った場合はその支配権を失うことから、アメリカは太平洋での軍事プレゼンスを再確立する必要が生じます。

 

 下図は北太平洋の船舶交通密度です。太平洋の海運における日本の地理的な重要性が分かりやすいかと思います。

Live Marine Traffic, Density Map and Current Position of ships in NORTH PACIFIC OCEAN

 

 率直に言って、海運の規模を考えればハワイやアラスカ経由だけではフォローし切れませんので、アメリカからすれば日本を軍事的に再度支配したほうが合理的な選択とすらなり得るでしょう。

 よって下手をすれば第二次太平洋戦争が勃発するかもしれません。インド洋を封鎖してしまえば日本は簡単に干上がりますし、日中露の海上戦力ではそれを阻止できませんので、アメリカからすれば確実に勝てる戦争です。それはまったくもって好みではない未来だと言えます。

 

 「別にアメリカとは仲良くしたままでいればいいじゃないか」と思うかもしれませんが、アメリカからすれば太平洋の支配権を確立できていない状況は一種のトラウマです。いつまたパールハーバーをやってくるか分からないなんて思われる状況を作ったうえで仲良くすることは難しいでしょう。

 政治的イデオロギーの違いがあろうとも、アメリカは戦争をしない国だと信じられる人は恐らくほとんどいないかと思います。

 

権威主義が勝つかと言えば、そうとも言えない

 現代は権威主義国家の伸張が目立っていますが、歴史を遡ってみると権威主義国家が膨張し続けることは考えにくくあります。

 これもまた単純な話で、どれだけ権力を集中したとしても少数者が支配できる勢力には限度があるためです。

 権力が集中していると意思決定が早く強引な方法も取れるため、最初のうちは問題なく膨張をし続けます。

 しかし勢力圏が拡大していくと支配者の手が届かない領域が次第に増えていき、徐々に統率が崩れていきます。これを避けるために支配者はピラミッド型の支配機構を構築して対応しますが、それは諸刃の剣です。必然的に権力が分散されることとなり、現在の権力者への抵抗勢力を生み出す結果を招きます。

 つまり国が富み国民が富むほど抵抗勢力が蓄えられる資金力も高まることから、権威主義の仕組みでは一定以上に国家が拡大すると最終的に分裂が必ず生じます。これはモンゴルや中国の様々な王朝など歴史的に広大な領土を獲得した権威主義国家の末路を見れば分かる単純な話です。

 

 もちろん現代の権威主義国家が必ずしも同じ末路を辿るとは言えません。少なくとも中国共産党は相当に上手くやっています。あの規模の領土、軍閥、富を抱えて中国を一つの中国として束ねる支配体制を維持していることは極めて有能だと評してもいいでしょう。さんざん国家が分裂してきた歴史を持つ中華の支配者の中でも、なかなかのやり手です。それでも国民所得が上がるにつれて内部の民主化運動や軍閥の台頭を抑え切れなくなる可能性を考えれば、これ以上の膨張は難しいかと思います。

 農村部まで含めた多くの中国人が先進国並みの所得を得られるようになった時、先進国並みの自由と権利をも欲することになるでしょう。そしてそれは権威主義国家では満たせない願望であり、権威主義を打倒する勢力の追い風となります。

 

 よって権威主義国家の伸張が今後も直線的に膨張し続けることは必ずしも真ではなく、安易に尻馬に乗るような真似は思慮が浅いと考えます。

 

結言

 乱雑な説明でしたが、以上の理由から私は日本が中露の権威主義陣営に寝返っても、国家にとっても国民にとってもあまり良い未来は訪れないのではないかと考えています。少なくとも自由主義陣営で努力していたほうが、恐らくマシです。

 

 まあ、日本の歴史を見ても大陸派と海洋派で割れるのは常です。どちらを選ぶにせよ、メリットやデメリットを踏まえた議論が必要でしょう。