忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

陰謀論に気を付ける必要はあるが、ノスタルジックになることはない

 

 検査技術が発展して病名が付いたからその病気と診断される人が増えたのと同じ現象かな、と思っている話。

 

ラベルの有無

 昨今は右を見ても左を見ても「陰謀論」の言葉が飛び交っています。

 この右と左は「世を見晴るかせば」と「政治的左派右派」のダブルミーニングです。

 なんてどうでもいいジョークはさておき、「現代は無数の誤情報が飛び交っており多くの人が陰謀論に陥っている」と警鐘を鳴らす人が増えつつあります。

 

 ただ、個人的にはそこまで心配していません。

 フェイクニュースや陰謀論が昔よりも増えたかどうかは証明されていないためです。現代のフェイクニュースの総量は各所で観測されていますが過去のフェイクニュースは検証されていません。

 過去に陰謀論が無かったとは到底言えないでしょう。それこそノストラダムスの大予言のような終末論は不定期に人類社会で蔓延しますし、新興宗教やカルトによるフェイクニュースは昔から発生し続けています。極論、十字軍やナチスドイツなど国家集団規模で陰謀論に染まっていたような事例は枚挙に暇がありません。

 

 要するに今までは見えていなかったものが見えるようになっただけです。

 コッホやパスツール以降に「細菌で死ぬ人が急増した」とは言いません。技術の進歩によって感染症の原因が判明した結果、死因に貼られるラベルが変わっただけで、人々は近代細菌学の発展以前も細菌によって死んでいました。

 同様に、「陰謀論」のラベルが貼られていなかっただけで現代で言うところの陰謀論は昔から存在しています。それこそインターネット黎明期のネット右翼的な反中・反韓、或いは左派の極端な反米思想だってどちらも巨悪が裏で暗躍しているとした構造を持つ以上、現代では十分に「陰謀論」と呼ぶべきものでしょう。

 

 つまるところ、陰謀論が急増しているかどうかは過去の検証との比較によって証明されるべきものであり、現代の総量だけで判別できるものではありません。

 

結言

 もちろんフェイクニュースには気を付ける必要がありますし、陰謀論へ陥らないよう謙虚な姿勢を保つことは必要です。そのための警鐘にも意味はあります。

 ただ、「今は駄目だ、昔は良かった」とノスタルジックに浸る必要はないかと思います。今が駄目であれば大抵は昔も駄目だったものであり、昔はそれが可視化されていなかっただけです。

 変な例を出せば、付き合ってみたら思ったよりも性格が悪かったことが判明したとしたら、付き合って性格が変わったというよりも付き合う前から悪かった性格が見えていなかっただけでしょう。大抵はそんなものです。物事の表層は目まぐるしく変わるものですが本質的なところは早々変わりません。

 

 言ってはなんですが、特定のドグマを信仰して他所へ戦争を仕掛けるような仕草などは立派な陰謀論かと思います。そしてそんな国家・集団の事例は歴史上数多に存在します。そう考えると、ある集団のうち陰謀論へ染まっている人の比率は下手をすれば現代のほうがよほど少ないかもしれません。

 

 

余談

 人類の歴史のような長い尺度で見れば現代はフェイクニュースが多いとは言えないかと私は思っていますが、個人の肌感覚レベルの短い尺度でフェイクニュースが増えたと感じる場合、それは平時が崩れつつあるのかもしれません。

 戦時は平時と比較してフェイクニュースが遥かに多く生成されます。いわゆるプロパガンダです。

 よってプロパガンダ的フェイクニュース、例えば国家間や人種間、文化間や宗教間のフェイクニュースが肌感覚レベルで増えた場合、それは宜しくない傾向の指標となりそうです。