特に統計的なデータがあるわけではありませんが、個人的な感覚として利己主義が蔓延しつつあるように思えます。
もちろんそれは過去の全体主義に対するバックラッシュではあるのでしょうし、個々人の主義主張に口を挟むつもりはありませんが、度が過ぎるとあまり宜しくありません。
そんな、ちょっとした個人的な見解を記録していきます。
全体主義VS個人主義
世の中は様々な切り口で主義主張が整理されており、そのうちの一つに全体主義(Totalitarianism)と個人主義(Individualism)があります。
それぞれは読んで字の如く、全体主義は個人の自由を抑制してでも国家や集団を優先する統制的傾向を持つ思想であり、個人主義は個人の自由を国家や集団よりも尊重する開放的傾向を持つ思想です。
どちらが正しいというわけではなく、是非は時と場合によります。災害時には個々人の自律では限度があり、多少なりとも統制的な指揮命令が下される必要があるでしょうし、逆に平時から個人を抑制して全体へ奉仕させることは人権を尊重できなくなる可能性が高まります。これらは程度問題であり、重要なのはどちらかへの偏りなく、時と場合に応じて最適な勾配を保てるよう可変であることでしょう。
個人主義の誤解
全体主義は理解が容易かと思われますが、個人主義となると少し誤解が蔓延っているように思えます。
より率直に言えば、個人主義(Individualism)と利己主義(Egoism)の混同があるように感じます。
個人主義と利己主義は似たような思想に見えて、実のところはまったく別物です。
個人主義とは全体における個人の自由や自律を尊重する思想であり、その個人が指し示す先は当人に限りません。他者も個人であり、他者の個人としての権利を尊重することも個人主義には不可欠です。
そういった他の個人の権利を省みず、己のみの利得を優先する発想は利己主義(Egoism)と呼ばれます。
己以外の他者を個人として尊重する思想が個人主義であり、己以外の他者を蔑ろにして自己のみを尊重する思想が利己主義です。
全体主義と個人主義は程度問題だと先述しましたが、利己主義はまずその行使において他者の権利を侵害しかねないため、基本的に社会から許容され難い思想です。
自由市場において公正な枠組みの中で自己利益を追求することは自然ですが、利己主義者はそもそも公正性を保てません。
倫理的に一定の自己保全が許容されることは当然ですが、やはりそれは他者の権利を侵害する正当な理由とはなりません。
極論ですが、極限状態における利己的な緊急避難のような止むを得ない事態以外では利己主義が社会から許容されることはありません。
言い換えれば、公私を線引きした時、"私"を犠牲にして"公"へ奉仕することが全体主義、"公"においては"公"、"私"においては"私"を明確に線引きして区分することが個人主義、"公"を犠牲にして"私"を優先することが利己主義です。
社会とは"公"であり、当然ながら"公"の犠牲を前提とする利己主義が社会から許容されることはありません。
結言
個人主義ではなく利己主義へ走っている人、或いは個人主義を誤解して利己主義に突き進んでいる人が散見されるように思えます。
冒頭で述べたように個人の主義主張に口を挟むつもりはありませんが、利己主義は公共を敵に回す点でデメリットが大き過ぎると思うため、私としてはあまり推奨しません。