一日のうちに3回も4回も会議があったら仕事なんて進まないよ!(忌憚のない意見)
失礼、本音が漏れました。
本音が駄々洩れる程度には疲れているので、どうでもいい雑談をしましょう。
定年後は陰謀論に注意?
先日のお盆休みに里帰りした際、定年して悠々自適に日々を過ごしている父とテレビを見ながら雑談していると、時節柄の日本航空123便墜落事故に関するニュースが流れてきました。
「この事故は謎が多いらしいな、自衛隊や米軍の関与があったという噂もあるそうだ」
「んー、まあ、もう40年近く昔の話だから物証は洗えないし実際のところは分からないけど、そういう可能性はあるかもね」
うーん、まだ残っていたのか、自衛隊&米軍陰謀説。さすがにこの40年で駆逐されたと思っていましたが。
事故から24年後の2011年に運輸安全委員会(JTSB)が解説書を発行しているほどには事故原因に関する様々な疑念や俗説を排除する努力が払われているのですが、なかなか疑念は晴れないようです。
人は時間が余るようになると余計な情報に触れる機会も増えるため、運が悪いと陰謀論的な情報に触れてしまうのではないか、そんな気分になりました。
世の中なんだかんだと余計な情報で商売している「大変屋」「アラーミスト」が多いものです。世間に置いて奇抜な情報は一定の需要があり、そういった需要は奇抜であればあるほど満たされることから、大変屋の発信する情報は否応なしに現実に即さない突飛な情報へと乖離していく傾向を持ちます。
定年などで時間に余裕のできた人はそういった人の拡散する怪しい情報に注意したほうがいい、のかもしれません。
まあ、たとえ感化されたとしてもSNSで誤情報を拡散したりしているわけでなければ別に問題は無いです。個人で楽しむ分には自由でしょう。
『特命リサーチ200X』のようなテレビ番組があったように、事件事故の真相!的な情報はなんだかんだ多くの人の興味を惹くのでしょう。現代はそういったバラエティ情報発信を個人がいくらでも行えるようになった、それだけの話です。
実際、私も多面的な物の見方を学ぶために奇抜な意見を拾いに行くことは多々あります。そういった傍流の情報を得ること自体は問題ではなく、問題はそれに感化されて主流の意見を蔑ろにしたり他者を否定する行為です。そういったことをせずに個人や身内で情報を所有して楽しむことは何も問題ありません。
結言
雑談中に「宗教」「オカルト」「陰謀論」系統の話題が出てくると一瞬ではありますが焦ります。
面と向かって否定するのも悪いですし、かといって全面的に肯定するのも宜しくない、如何に肯定も否定もせず話を逸らすかが重要です。理解は示すが同意はしない、そのくらいの距離感が最適だと考えます。
最近このブログで陰謀論に関する記事が多かったのは、里帰りした時にこんな出来事があったからです、はい。
『特命リサーチ200X』を「嘘番組だ」と嫌っていた父も、歳を取ると怪しい情報に感化されるんだなと、少し感慨深くなりました。でもよく考えると実家の書棚にはオカルト系の本がいくつもありましたので、(こういった番組や書籍は子どもの教育には不適切だが大人が趣味で嗜む分には面白い)と思っているのかもしれません。そうであれば私も同意見です。